(1998年 アメリカ)
終末が迫っているとは思えない登場人物達の呑気さや、取ってつけたような人間ドラマ、肝心の見せ場では人災の連続と、本当に酷い話でした。救いはマイケル・ベイのパワフルな演出で、無理矢理に観客を興奮させます。
地球に迫りくる小惑星が発見された。衝突すればバクテリアすら生き残れないというこの脅威に対して、人類に残された時間は僅か18日間。この短期間で実現可能な唯一の対策として、NASAは石油掘りを小惑星に送り込み、表面を掘削してあけた穴に核弾頭を仕掛けて真っ二つに割るという作戦を思いつく。
本作の原案となった脚本『Premonition(予言)』の映画化に向けて動いていた当初のプロデューサーはゲイル・アン・ハードでした。プロダクションの過程でジェリー・ブラッカイマーにメインの役割を譲り、彼女はサブに回ったのですが、完成作品では製作総指揮として名前が残っています。
1955年生まれ。スタンフォード大学卒業後にニュー・ワールド・ピクチャーズに入社し、B級映画の帝王ロジャー・コーマンのエグゼクティブ・アシスタントとなりました。後に彼女が、バカバカしくも大衆受けする素材を見分けるプロデューサーとなったのは、この時に身に付けた選別眼の賜物だったのかもしれません。
このニュー・ワールド時代に、当初は雑用係として出入りしていたジェームズ・キャメロンと出会い、1985年に結婚。『ターミネーター』(1984年)、『エイリアン2』(1986年)、『アビス』(1989年)と、キャメロンの80年代の作品は、すべて彼女が製作しています。1989年に離婚し、1991年にブライアン・デ・パルマと結婚。1993年にブライアン・デ・パルマと離婚し、1995年に脚本家のジョナサン・ヘンズリーと結婚と、なかなかの破天荒ぶりでおられます。
この新しい夫のジョナサン・ヘンズリーにより、着想は良いがパンチの足りていなかった『Premonition』はアクション大作として練り直されました。ただし肥大化した製作規模はゲイル・アン・ハードの手に余ったことから、マイケル・ベイの提案により大物プロデューサーのジェリー・ブラッカイマーが招集されたのでした。
1945年生まれ。最初のキャリアは、後に彼がプロデューサーとして使うこととなる監督達と同じく、コマーシャル・フィルムの監督でした。ニューヨークの広告代理店で数々の賞を受賞した後にロサンゼルスへ移って映画製作を開始。初期にはハードボイルド小説の古典の映画化『さらば愛しき女よ』(1975年)、ジーン・ハックマン主演の『外人部隊フォスター少佐の栄光』(1977年)、マイケル・マン監督の『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(1980年)などやたらシブイ映画ばかり作っていたのですが、1980年代よりドン・シンプソンの製作助手となったことから、その作風は一変しました。
見栄えのする若手俳優、人気アーティストを起用したサウンドトラック、特殊効果を駆使した派手なアクションというドン・シンプソンスタイルを継承・発展させ、これによりヒットメーカーの仲間入り。彼の作品は派手さの割には中身がないと揶揄されることも多いのですが、それはシンプソンと組む以前のシブい作品群が収益を生み出してこなかったというブラッカイマーなりの反省がスタート地点にあり、彼は百も承知の上でやっているのです。
1965年アメリカ出身。デヴィッド・フィンチャーとドミニク・セナにより設立されたプロパガンダ・フィルムズに所属しMTVやCMの監督としてキャリアをスタートさせ、『バッドボーイズ』(1995年)で長編映画デビュー。同作が製作費2300万ドルに対して全世界で1億4000万ドルを稼いだことから、ジェリー・ブラッカイマー・プロダクションの主力監督の一人となりました。
次いで、トニー・スコットが『ザ・ファン』(1996年)に移って行った『ザ・ロック』(1996年)の監督に就任し、その年の全米年間興行成績第4位、全世界で3億3500万ドルの大ヒット。これでハリウッドからは完全に認められ、ゲイル・アン・ハードとジョナサン・ヘンズリーは、本作の企画をまずマイケル・ベイに持ち込みました。
ジェリー・ブラッカイマーは大勢の脚本家を雇い、各自の得意分野を担当させて脚本のブラッシュアップを図るという方法をよく取るのですが、本作にも数十人の脚本家が関わったと言われています。
パニック・アクション大作『アウトブレイク』(1995年)のロバート・ロイ・プールによる脚本が本作の原案となりました。そのタイトルは『Premonition(予言)』。小惑星が地球に落ちてくると予言し続ける男の物語であり、プロデューサーのゲイル・アン・ハードは、この企画には光るものがあると睨んでいました。ただし、スタジオが好む腹にがつんとくるアクション大作ではないということが、ハードの気掛かりでした。
その解決策を思いついたのが、ハードの夫で脚本家のジョナサン・ヘンズリーでした。当時、ヘンズリーはジョン・ウェイン主演の『ヘルファイター』(1968年)のモデルにもなった油田事故対策の専門家ポール・アデアの人生を映画化したいと考えていたのですが、それと『Premonition』を合体させ、NASAでも解決できない問題にローテク労働者が立ち向かうという、とんでもない奇策を思いついたのです。
ヘンズリーがこの着想を持ち込んだのが『ザ・ロック』(1996年)を大ヒットさせたマイケル・ベイであり、これを気に入ったベイは『ザ・ロック』で仕事をしたディズニー・スタジオに持ち込み、当時の会長のジョー・ロスをベイとヘンズリーの二人で直接口説き落として製作が決定しました。
上記の通り、本作の元となった企画のタイトルは『Premonition』だったのですが、内容が大幅に変わったことから改題が必要となりました。
そんな折、ディズニー・スタジオへの売り込みの際にマイケル・ベイとジョナサン・ヘンズレーがたまたま口にした、世界の終末における最終的な決戦地を意味する「アルマゲドン」という言葉が、ディズニー会長ジョー・ロスの耳に残りました。ロスはこの『アルマゲドン』で行きたいと思ったのですが、問題は、ジョエル・シルバーがアルマゲドンというタイトルの権利をすでに取得していたことでした。
そこでディズニーは「ファーザーズ・デイ」と「陰謀のセオリー」をトレードに出して「アルマゲドン」を取得しました。『ファーザーズ・デイ』(1997年)はアイヴァン・ライトマン監督×ロビン・ウィリアムズ主演で、『陰謀のセオリー』(1997年)はリチャード・ドナー監督×メル・ギブソン主演で映画化されたのですが、両作の興行成績をあわせても『アルマゲドン』には遠く及びませんでした。
当初はゲイル・アン・ハードとジョナサン・ヘンズリーの夫婦が進めていたプロジェクトだったのですが、破壊王マイケル・ベイが参加し、ディズニー会長ジョー・ロスの肝いりとなったことから、プロダクションは大規模化しました。
その陣頭指揮を執るには強力なリーダーが必要ということで指名されたのが当時世界一のヒットメーカーであり、ディズニー・スタジオとの長期契約を結んでいたジェリー・ブラッカイマーでした。
また、当初ジョー・ロスはスターを使わないという方針で進めていたのですが、ほぼ同時期にスティーヴン・スピルバーグが『ディープ・インパクト』(1998年)を製作中であることが判明。ライバルに勝利するためには強力なスターの看板が必要ということになり、主演にはスターがマストとなりました。
その際にはアーノルド・シュワルツェネッガーやショーン・コネリーも考慮されていたのですが、主演作品『The Broadway Brawler』の製作を中止したことから発生した違約金1,000万ドルの肩代わりと引き換えにディズニーとの間で3本の出演契約を結んでおり、ディズニーとしては何か仕事を与えなきゃと思っていたブルース・ウィリスに落ち着きました。
当時のウィリスの年齢は42歳で、21歳のリブ・タイラーの父親役をやるには若すぎたので、髪の毛を白髪交じりに染めるなどの調整が必要となりましたが。
なお、ブルース・ウィリスは当該契約で『シックス・センス』(1999年)にも出演しており、そちらは『アルマゲドン』をも上回る興行成績を記録したことから、本作と『シックス・センス』の併せ技で、ディズニーは肩代わりした違約金の約120倍もの興行成績を上げることができました。
1998年7月1日に全米公開され、2位の『ドクター・ドリトル』(1998年)の売上の2倍近くを稼ぎぶっちぎりの1位を記録。翌週は人気シリーズ『リーサル・ウェポン4』(1998年)に首位を阻まれたものの、全米トータルグロスは2億157万ドルに達しました。
世界マーケットではさらに好調で5億5370万ドルを売り上げ、その年の世界興行成績No.1の作品となりました。
なお、90年代はハリウッド大作の日本公開が異常に遅いということが定例化しており、本国では7月に公開された本作が、日本では12月12日公開でした。もちろん世界最遅公開。死ぬほど待たされました。
大気のない小惑星で火が燃える、音が響き渡る、場面によって重力があったりなかったりするなど、科学的誤謬の多さをよく指摘される作品なのですが、今回はあえてそこには触れず、映画としてどうだったのかという点に絞ってレビューしたいと思います。
問題を抱えた親子関係の修復、引き裂かれた若いカップル、弟子の巣立ちを見守る師匠、これら定番のドラマが組み合わされた構成となっているのですが、人物描写の地道な積み重ねの末に感動のピークを持って来るという見せ方ではなく、「頑固おやじが娘の幸せを願って死ねば感動するんだろ」的な安直さがあって、感動の場面が記号のような形で提示されるので、私は全然乗れませんでした。
ハリーとグレースの関係性修復はスペースシャトル打ち上げ前の時点で終わっていて、その後には何もなかったし、ミッション中のグレースはハリーのことばかりを言っていてA.J.ネタに触れません。こんな状態で感動の場面だけやられてもねぇという感じです。
また、ハリーがA.J.の判断に委ねるクライマックスは、イチかバチかとりあえずA.J.に任せとけ的なシチュエーションになっていて、ハリーがA.J.の手腕を認めて独り立ちさせるに至るというプロセスを経ていないので、師弟関係の〆として盛り上がりませんでした。
何もしなければ18日後に地球が滅亡するというシチュエーションながら、ハリー率いる石油掘り達が悪ふざけばかりでイライラさせられました。挙句に、訓練の合間に休みをくれないともう働かないなどと、舐めた要求までをしてトルーマンを困らせる始末。
話を聞くまではふざけていても良いのですが、危機を知ったら最後、「わしらに任せとけ!」的な職人としてのスイッチが入り、ストイックな姿勢を見せつけて欲しいところでした。
この点では、終末感を煽りまくって「もしも巨大隕石が地球に迫っていたら、人々はどう反応するのか」というIFの物語を作り上げていた『ディープ・インパクト』(1998年)の方に完全に軍配が上がります。
また小惑星に着陸して掘削作業を行い、仕上げに核爆弾を起動させるという、人類史上初が何個も重なった困難なミッションにあって、クルー達が生きて帰る気まんまんでいる点にも違和感がありました。
無事にやり遂げることすら困難で、生きて帰ることなんてほぼ無理と腹を括らねばならないミッションだと思うのに、クルー達の楽観的な態度が物語から緊張感を奪っていました。
この点では、個人の生への執着が無くなり、ミッションをやり遂げるためには誰が生きておかねばならないのかの算段をしていた『サンシャイン2057』(2007年)や『インターステラー』(2014年)のような、ドライな空気が生み出すリアリティが欲しいところでした。
小惑星に着陸して以降に起こるトラブルは、「岩盤が硬い」以外にはほぼ人災という点もガッカリでした。
焦った大統領がハリー達の掘削を待たずに核爆弾をリモートで点火しようとする場面が、尺の取り方から言っても本編中最大の見せ場っぽいというガッカリ感。人類で仲間割れをする余裕があるという点が、危機感をむしろ後退させていました。
錯乱したスティーブ・ブシェミがガトリング砲を乱射して仲間を危険にさらす場面なんて必要でした?
前半ではアルマジロと呼ばれる掘削マシーンを見たハリー達が「こんな部品はいらない」「誰だ、こんなものくっつけたのは」とかやっていたのに、どうしても必要性を感じないガトリング砲はくっつけたままにしているという不思議。宇宙でガトリング砲が必要だと思ったんでしょうか。
最後の最後では、起爆用のリモコンが壊れたので誰かが残って手動で起爆させねばならないという究極の人災がやってきます。なぜガトリング砲を積むという判断はしたのに、予備のリモコンひとつ入れておくということをNASAの誰も考え付かなかったんでしょうか。
上記の通り、よくよく考えるとしょーもない危機が多いのですが、素早いカット割りと音楽によって観客を強制的に盛り上げるという、見事な職人技が光っています。
編集を担当したのは『ランボー/怒りの脱出』(1985年)や『コマンドー』(1985年)といった多くのアクション大作を手掛け、『ターミネーター2』(1991年)でアカデミー賞編集賞にノミネートされたマーク・ゴールドブラット、主にトニー・スコット作品で活躍し、『トップガン』(1986年)と『クリムゾン・タイド』(1995年)でアカデミー賞編集賞にノミネートされたクリス・レベンゾン、そのレベンゾンと『コン・エアー』(1997年)でも組んだグレン・スキャントルベリーの3名が担当。見せ場が始まった途端に観客をグイグイと引き込む編集の見事な息遣いには感心させられました。
また、テンポのあるBGMで見せ場の援護射撃をしたのはトレヴァー・ラビン。元はミュージシャンとして活動しており、ロックの殿堂入りも果たしたプログレッシブ・ロックバンド「イエス」でギター、ボーカル、キーボードを担当し、その全盛期を支えました。その後、旧知の仲だったハンス・ジマーが率いるメディアベンチャーズに参加して映画音楽の道に転身。『コン・エアー』(1997年)での仕事が認められ、本作での起用に繋がりました。
本作では、大規模なスペクタクルが発生する場面での壮大なテーマ、シャトル打ち上げ場面等でのヒロイックなテーマ、危機が起こる場面でのスリリングなテーマと、大きく分けて3つの曲調を作り上げているのですが、そのどれもがマイケル・ベイが作り上げる映画のルックスと調和しており、観客を耳で盛り上げました。
マイケル・ベイとは気が合ったらしく、前作のマーク・マンシーナが降板した『バッドボーイズ2バッド』(2003年)の音楽も担当しています。
VFXを多用した映画であっても、本当に爆破しないと迫力は出ないという主義を持つ男・マイケル・ベイは、本作でも豪快に暴れています。小型の隕石群がNYを襲う冒頭は本当に街中で車を爆破して作り上げた映像を軸にして、どうやってもライブで作れない部分にのみVFXを用いることで、リアリティとハッタリを両立した奇跡的な完成度に仕上げています。
VFXを用いた作品は、製作時点では最先端の映像であっても時代の経過と共に観客の目を騙せなくなってくるものなのですが、本作の冒頭は、20年以上経った現在の目で見ても迫力満点です。
残念なのは、これほどの力を持った映像がこの一場面のみだったということです。上海とパリが壊滅する場面はVFXオンリーでライブアクションがなかったためにNYほどの迫力がなかったし、小惑星に降り立ってからはただ撮ってるだけという状態で、目を見張るような強い見せ場がありませんでした。
マイケル・ベイをはじめとしためちゃくちゃにうまいスタッフの力技で何とかもっているような作品であり、これだけ金をかけているのに、なぜお話がこれほど面白くないのか、見せ場の配置が悪いのかということが終始気になりました。見るべき価値はあるので駄作ではないと思うのですが、決して良作でもありません。
それにしても、劇場公開時の熱狂は一体何だったんでしょうね。こんな壊滅的な出来なのに生涯の傑作レベルに挙げている人が多く、駄作だと言い出せない空気すら漂っていました。