(1993年 アメリカ)
ミニマルなパロディ映画として作っていれば相当楽しい映画になったはずなのに、企画のサイズを逸脱した予算と人材を与えられたことから、どんどん方針を違えていったことに失敗の原因はあります。あるプロジェクトがいかにして失敗するのかという一例として、実に参考になる作品でした。
映画少年ダニーが、映写技師から魔法のチケットを受け取る。それは映画と現実世界を自由に行き来できるチケットであり、ダニーは鑑賞中のアクション映画『ジャック・スレイター4』の世界へと入っていき、憧れのヒーローと共に劇中の事件を解決していく。
ジョン・マクティアナンとシュワルツェネッガーは『プレデター』(1987年)を成功させたコンビなのですが、マクティアナンはそれより前の『コマンドー』(1985年)の監督候補でもあったし、マクティアナンが監督して大ヒットした『ダイ・ハード』(1988年)は、元は『コマンドー』の続編企画でした。
こうして考えるとシュワとマクティアナンの因縁はかなり深いのですが、双方が『プレデター』後に何本ものヒットを重ね、大きく成長したところでの再度のランデブーということで、本作にはなかなか意義深いものを感じました。
本作の元となった” Extremely Violent”というタイトルの脚本を書いたのは、大学を出たてのザック・ペンとアダム・レフのコンビでしたが、大手スタジオがこの脚本を買い取って製作に乗り出し、プロダクションに大いに口を出すシュワルツェネッガーが主演に決まった時点で、大勢の脚本家の手を通ることとなりました。
1993年6月18日に全米公開されたのですが、前週に記録的なオープニング興収を記録した『ジュラシック・パーク』(1993年)の猛威に巻き込まれて初登場2位でした。その翌週には『わんぱくデニス』(1993年)にも敗れ、公開4週目にはトップ10圏外に弾き出されました。
全米トータルグロスは5001万ドルで年間興行成績23位という不調に終わり、8500万ドルの製作費をかけた大作ながら不発でした。
世界マーケットではやや持ち直し、全世界トータルグロスは1億3729万ドル。こちらは年間興行成績15位と相対的にはまずまずの結果だったのですが、その年のすべての映画の中でもトップクラスの製作費と、5000万ドルともいわれる多額の広告宣伝費をかけた大作としては期待外れだったと言わざるをえません。
映画オタクがアクション映画に入り込み、次の展開を言い当てながら事件を解決していくことが作品の骨子なので、本作にはアクション映画あるあるが多く登場します。今の観客が見てどう感じるのかは分かりませんが、シュワやスタの映画を見ながら育った私には、これらのあるあるは楽しめました。
シュワルツェネッガー、ジョン・マクティアナン、シェーン・ブラックは本物のアクション大作を作る人達であり、そして本作は彼らが作ってきた映画のパロディでした。パロディとは当事者以外が対象を客観視した上でデフォルメするから面白いのであって、当事者にパロディをやらせてもただの自虐にしかならず、お客さんを笑わせる芸にはなりません。
コロッケという芸人がやるからこそ五木ロボというネタは面白いのであって、五木ひろし本人が五木ロボをやっても面白くはないのです。本作は、そもそもの人選から間違えていたとしか言いようがありません。
作品は劇中劇『ジャック・スレイター3』のクライマックスからスタートするのですが、誇張されたアクション映画をバカバカしくも楽しく見せるという本作の企画にあって、笑えもしなければ興奮することもないこの冒頭にはイヤな予感がしました。優等生が無理やりギャグを言わされているようなぎこちなさがあって、明らかにジョン・マクティアナン監督がコメディに向いていないのです。
シュワの次回作の『トゥルー・ライズ』(1994年)でも、プロダクションの最中にジェームズ・キャメロン監督が自分はコメディに向いていないことに気付くということがあったらしいのですが、キャメロンはスタンダップコメディアンのトム・アーノルドを主要キャストの一人としてキャスティングし、お笑いパートは彼にリードさせるという解決策をとって、何とか問題をクリアーしました。
他方、本作にはガチの俳優しかキャスティングされていないので、コメディパートがまぁ悲惨なことになっています。上記の通りアクション映画あるあるなどは楽しかったのですが、これらも一瞬笑いを取るだけなんですよね。小ネタとストーリーがうまく融合して何か楽しいことが起こりそうな雰囲気を常に漂わせていることこそが本作のあるべき姿だったはずなのに、その域にはまったく達していませんでした。
続くダニー少年の現実パートは無駄に込み入っていて、ただのアクション映画オタクとして描いておけば事足りるはずなのに、シングルマザーに育てられているとか、映画館に行く前に家に強盗に入られたとか、全体から考えて必要とは思えない枝葉がいろいろとくっついていてまどろっこしい思いがしました。
脚本家を増やしすぎて無駄なプロットが増えてしまっているし、どの要素が必要かという取捨選択をプロデューサーも監督も誰も行っていないために、本来は軽快に進んでいくべきアクションコメディがえらく鈍重になってしまっています。
映写技師から渡された魔法のチケットが発動し、ダニー少年がよおやっと『ジャック・スレイター4』の世界に入っていくのですが、その世界もいろいろと間違っています。パロディという企画の本質から考えると、アクション映画でよく見る光景をちょっと誇張した世界がそこにあるべきだったのに、未来風の警察署にSF風の衣装を着た人がいて、挙句の果てにはアニメの猫やモノクロのハンフリー・ボガートまでが刑事として活動しており、もはやアクション映画のパロディでもなくなっています。
アニメの猫もハンフリー・ボガートも個々のアイデアは面白くても、作品の方向性に誤解を与えるマイナス要素として働いています。この映画は観客に何を見せたいのかという基本的な方向性が整理されていないために、そこにあるべきではないアイデアまでが入ってしまっているのです。
また、荒唐無稽なアクションの連続で勝負するには見せ場の密度が薄いし、デコボココンビで笑わせたいにしてはギャグの質・量が不足しています。観客に何で楽しんで欲しいのかを明確にしないままに、アクションの手落ちに対しては「これはコメディ映画ですから」と言い訳し、コメディの手落ちに対しては「これはアクション映画ですから」と言い訳しているような状態が90分も続き、とても退屈させられました。
後半に入ると、今度はスレイターがこちらの世界へとやってきます。逃走する車を拳銃で数発撃ったところで大爆発などせず、また素手でガラスを割れば拳を痛めるといった具合に、アクション映画の法則を逆手にとった見せ場がここからスタートするのですが、これもまた徹底されていないんですよね。
クライマックスに向かうにつれ、ジャックは停車された車の屋根を飛び回ったり、映画のプレミア会場での大捕り物をやったりと、劇中劇と遜色のない動きをし始めてしまうのです。もっともガッカリだったのがクライマックスでのリッパーとの決着であり、電線を水溜まりにつけてリッパーを感電死させ、ビルの屋上から転落しかけているダニーを片腕で放り投げて救うなど、現実的に絶対にありえない動きの数々で問題を解決してみせるジャック。これでは、劇中劇と現実世界との対比という作品の骨子が死んでしまっています。
≪シュワルツェネッガー関連作品≫
【凡作】コナン・ザ・グレート_雰囲気は良いが面白くはない
【傑作】ターミネーター_どうしてこんなに面白いのか!
【傑作】コマンドー_人間の心を持ったパワフルな男
【駄作】ゴリラ_ノワールと爆破の相性の悪さ
【良作】プレデター_マンハントものの教科書的作品
【駄作】バトルランナー_薄っぺらなメディア批判とヌルいアクション
【良作】レッドブル_すべてが過剰で男らしい
【良作】トータル・リコール(1990年)_ディックらしさゼロだけど面白い
【良作】ターミネーター2_興奮と感動の嵐!ただしSF映画としては超テキトー
【凡作】ラスト・アクション・ヒーロー_金と人材が裏目に出ている
【凡作】トゥルーライズ_作り手が意図したほど楽しくはない
【凡作】イレイザー_見せ場の連続なのに手に汗握らない
【凡作】エンド・オブ・デイズ_サタンが間抜けすぎる
【駄作】シックス・デイ_予見性はあったが如何せんダサい
【駄作】コラテラル・ダメージ_社会派と娯楽の隙間に挟まった映画
【良作】ターミネーター3_ジョン・コナー外伝としては秀逸
【凡作】ターミネーター4_画だけは最高なんだけど…
【凡作】ターミネーター:新起動/ジェニシス_アイデアは凄いが演出悪すぎ
【凡作】ターミネーター:ニュー・フェイト_キャメロンがやってもダメだった