【良作】フィラデルフィア・エクスペリメント_SF好きほど騙される(ネタバレあり・感想・解説)

SF・ファンタジー
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(1984年 アメリカ)
懐かしの映画だけど、あらためて見ると記憶以上に作り込みの細かい良作だった。SF好きほど騙されそうな意外性あるストーリーに、地に足の着いたドラマ。総合的に完成度が高く、VFXのショボさには目を瞑りたくなる。

感想

子供の頃に日曜洋画劇場で見た映画。

特に面白いとは思わなかったが、録画テープを何度も見ていたので、子供心にも何かしら引っかかるものがあったのだろう。なおその録画テープは、毎度おなじみ「おかんビデオテープ大量廃棄事件」で犠牲となった。

ここ数十年は地上波放送が途絶えている上に、ソフト化機会にも恵まれない作品で、10年以上前にリリースされたBlu-rayにはプレ値がついていたのだが、2023年末にBlu-rayの再販が決定してとても驚いた。

しかも以前のBlu-rayに収録されていたのはゴールデン洋画劇場版の吹き替えのみだったところ、今回は日曜洋画劇場版もあわせて2種類の吹き替えが収録されるとのこと。

さらに日曜洋画劇場版は地上波ではカットされた部分を追加録音した完全版とのことで、感激のあまりすぐにAmazonで予約してしまった。

ただし私と同じ思いを持つ人がこの国には大勢いたようで、商品は入荷待ち状態となり、発売後すぐには入手できなかった。ちょっと残念だったけど、『フィラデルフィア・エクスペリメント』を欲しがる人が多いという現状を嬉しく思う気持ちの方が勝った。

動画配信が主流となったことでパッケージソフトの市場は年々縮小しており、ちょくちょく覗かせていただいているTCエンタテイメントさんのSNSにおいても、このままいくと映画ソフトを手元に置くという文化自体なくなるかもねなんて悲観的なことが書かれていたりもするが、日本の中年映画ファンの胆力はそんなもんではないと、ちょっとだけ安心した。

そんなこんなでようやっと入手できたのが2024年1月下旬に入ってからのことだったけど、あらためて見ると記憶していた以上に面白くて驚いた。

タイムトラベルものとしては難しすぎず単純すぎずの程よい作り込みだし、後半にかけて意外な捻りもある。世界的にはさほど評価されていない作品のようだけど、私はSF映画の佳作レベルには十分達していると思う。

アメリカでは有名な都市伝説「フィラデルフィア計画」を題材に、大真面目に作られたSFスリラー。

1943年、フィラデルフィア港では軍艦をレーダーから消す技術の実験が行われていたが、装置にスイッチを入れた瞬間、水兵のデヴィッド(マイケル・パレ)とジム(ボビー・ディ・シッコ)は1984年のネバダ州に飛ばされてしまう。

タイムスリップものって現代人が過去なり未来なりに行くものが主流という中、こちらにタイムスリップしてきた40年前の軍人さん目線というのが斬新。

1984年の社会を観察しながら「お~」っと驚く主人公たちを見るのは、定番ながらもやはり面白い。

なおレーガン大統領ネタは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年)よりも本作の方が1年早かった。

そういえば本作製作から今年で40年、劇中の設定年代(1943年→1984年)とほぼ同じ時間差があるわけだが、1984年の人が現在を観たらどう反応するのかななんてことも、一瞬頭をよぎった。

当時の想像を超えたテクノロジーはなさそうな気がするので、意外と受け入れるんじゃないかと思ったりはするけど。

それよりも驚かれるのはコンテンツの方かな。スーパー戦隊の新作が毎年休まず出続けてるとか、『ターミネーター』の新作がまだまだリリース予定とか、クリント・イーストウッドがいまだに映画を撮り続けているとか、そっちの方が想像を超えている。

閑話休題。

1984年をさまようデヴィッドとジムは警察と軍から追われる身となり、立ち寄ったダイナーでのトラブルをきっかけに求職中の若い女性アリソン(ナンシー・アレン)も巻き込むが、その後にジムが消滅してしまい(死んだのではなく消滅)、デヴィッドとアリソン二人の逃避行となる。

40年というタイムラグは、絶妙に当時の知り合いが生存している時期でもあり、二人はデヴィッドの実家を目指す。

父親のガソリンスタンドはすでに他人の手に渡っていたが、店先に飾られていた当時の写真にデヴィッドが映っていたことから、彼の話が真実だったと確信するアリソン。

そして観客とデヴィッドは、ここでの彼女の反応から、それまでは優しいアリソンがデヴィッドの話を信じたふりをしていただけだったことを知る。

こうした人情の機微みたいなものが描かれているので本作は実に味わい深い。通常のB級SFとは一線を画す作りだと言える。

本作を監督したのはスチュワート・ラフィル。SFコメディ『スペース・パイレーツ』(1984年)や、E.T.の劣化コピー『マック』(1988年)などが代表作で、お世辞にも著名な監督と言えないのだが、本作ではなかなか安定感のある演出を見せる。

アリソンがデヴィッドの話を信じたふりをしていたのは、彼を愛していたからで、ここから映画はラブストーリーの様相も呈する。

最終的にデヴィッドは1943年か1984年かの選択を迫られ、大方の予想通りに1984年を選択するのだが、彼女の元に帰ってくるラストは予定調和ながらも感動的。

冒険譚の締めはこうあってほしいという理想的な終わり方をしてくれて、実に気持ちが良い。

昔の映画ってこんな形ですっきりと終わってくれるので、日曜洋画劇場で見る分にはちょうど良かった。

「明日は月曜だしもう寝るか」と良い寝つきへと誘導してくれるのだ。

一方予定調和から程遠かったのがSF設定で、こちらは気持ちよく観客を騙してくれる。

アリソンとデヴィッドは手がかりを求めてジムの奥さんの家を目指すんだけど、なんとそこで年老いたジムと遭遇する。

「ジムは1943年の実験で行方不明になったきりです」という展開を予測していたところに、ジムの生存をぶっこんでくるという意外性には心底驚かされた。

SF映画好きであればあるほど、この展開は読めなかったはず。

なぜならタイムトラベルものにおいては「同一時間帯に同一人物は複数存在できない」という原則が置かれることが多いためで、1984年に若ジムと老ジムが同居していたという可能性は、SF好きほど考えていなかったはず。

通の裏読みを利用してきた構成の妙である。

本作のSF設定には独特な部分が多く、タイムパラドックスが起こらないという設定も置かれている。

主人公がタイムトラベルしたことで歴史がどんどん改ざんされていき、それをどうやって元に戻すのかがこの手の映画の見せ場とされる場合も多いのだが、本作はその逆をいっている。

すなわち「デヴィッドが1984年にくること」「デヴィッドが1943年に戻って世界を救うこと」はすでに歴史に織り込み済であり、一部の登場人物には彼が何をするのか最初から分かっていたということになる。

タイムパラドックスない設定のSF映画ってあまり見かけないので、これまた斬新だった。

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