【傑作】猿の惑星:新世紀_戦闘と独裁のリアル(ネタバレあり・感想・解説)

SF・ファンタジー
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(2014年 アメリカ)
モロにイラク戦争をモチーフにしたガチ路線に恐れ入った。現実社会の写し鏡だった猿の惑星シリーズは、本作でついに戦争のメカニズムを解き明かすことに成功した。

感想

正義が起こした戦争

前作ラストではシーザーによる猿達の蜂起と、猿インフルエンザの流行による人類の破滅が描かれた。

あれから10年後、シーザーに率いられた猿達は森で繫栄し、他方で随分と数を減らした人間たちはかつての市街地の地下で細々と生活しており、お互いに領域の外には出ないという暗黙の了解のうえに平和が築かれていた。

しかしその均衡が破られる時が来る。

マルコム(ジェイソン・クラーク)に率いられたエンジニアチームが森に侵入し、偶然遭遇した猿に発砲して怪我をさせてしまったのである。

「あいつらまだ生きてたんだ!」「やっぱり人間は危険だ!」と猿社会には衝撃が走るんだけど、聡明なリーダーであるシーザーはマルコムに事情を聞き、彼らはあくまで水力発電所の復旧のためにやって来たのであり、侵略的な意図はないことを把握する。

それまで都市部の人間たちは発電機を回して何とか持ちこたえてきたのだが、いよいよ燃料が底をつきそうで、そうなれば電源を失ってしまう。そこで危険を冒してまで水力発電所を見に来ていたのである。

人間のことをよく知っているシーザーは、彼らが電気なしでは生きられないことが分かっている。いまマルコムを追い返せば、今度は死に物狂いの兵隊達が発電所を取りに来るはずで、そうなれば流血沙汰は避けられない。

シーザーとしては、水力発電所くらい認めてやった方がこっちの善意も伝わって両種族が平和にやれるんじゃないかと考えて、マルコムたちに活動の許可を与えることにする。

しかし人間に飴なんか与えて勢力を盛り返せば、また我々が攻められるんじゃないかという危機感を抱く勢力も現れる。

その代表格がボノボのコバである。

コバは前作から引き続きの登場であるが、実験動物として傷つけられてきたコバはどうしても人間の善意を信用できず、猿社会を守るための予防的な戦争を主張する。人間たちが弱っている今こそが絶好の攻め時であると。

いったんはシーザーの決定に従うも、やはり猿社会全体のことを憂うコバは市街地へと偵察に行き、人間が大量の武器を持っているという情報を掴む。

これは完全にやばい、シーザーの言っている通りにしていると今度はこっちがやられるぜと危機感を募らせたコバは、暗殺とクーデターによって猿社会の実権を握り、都市部への侵攻を開始する。

武器の存在が開戦理由になったというのは、大量破壊兵器の有無が争点だったイラク戦争を想起させる。本作は21世紀の対テロ戦争をカリカチュアした作品なのだ。

ここで重要なのが、コバはコバなりの正義でこれを唱えているということである。

それは人間側も同じくで、リーダーであるドレイファス(ゲイリー・オールドマン)は猿に対して敵意を抱いているが、決して殺人狂というわけではない。

仲間と接するときのドレイファスは思いやりに溢れた好人物なのだが、このつらい10年間で愛する妻子を失ったという経験が、猿を外敵として見做すという好戦的な姿勢として表れているだけだ。

皆、心根は善良で戦争狂の類はいない。しかしこれまでの経験によって相手を敵と識別するか、分かり合えるお隣さんと見做せるかどうかが分かれてくる。こうした戦争を起こすメカニズムを効果的に見せてくれるのが本作のよくできた点だ。

怒涛の戦闘場面

権力を掌握したコバは人里への侵攻を開始。ここからは前作をもしのぐシリーズ最大の戦闘場面が始まる。

構造上、本作は『最後の猿の惑星』(1973年)のリメイクに当たるのだけど、製作費がジリ貧でボロい車がノロノロ走ってるだけだった『最後』の雪辱を果たすことに成功する。

馬に乗って怒涛の進撃をする猿軍団に対し、人間側は銃弾の雨あられを降らせる。炸裂するグレネードと、一山なんぼで吹っ飛んでいく猿軍団。

不謹慎ながら、こういうやけくそみたいな戦争が見たかった。アクション映画ジャンキー達も納得すること間違いなしの見せ場である。

種族としての勢いで勝る猿軍団が圧勝して市街地を占拠すると、人間たちを強制収容所に閉じ込め始める。太平洋戦争時の日系人収容施設や、イラク戦争時のアブグレイブ刑務所を想起させる光景であり、これは相当ヤバいことになっているなと実感させられる。

独裁者コバ

リーダーのコバは完全にタガが外れてしまっている。

職場でもそうだが、責任者に抜擢されるといきなりワンマンを炸裂させて部下をドン引きさせる者がいる。コバもそのタイプだ。

敵に対しては人道無視の扱いを行い、味方であるはずの猿でもシーザーに近かった者は反乱の可能性ありとして監禁。そして現場の兵士が言うことを聞かなければ即処刑。

コバは独裁者として振る舞うわけだが、彼自身がキャパオーバーしているという面もあって、もはや自分が何をやっているんだか理解しきれていないのだろうと思う。

人はいきなりリーダーになれるわけではない。

チームを任されたが失敗するということを何度か経験し、そのうちに組織を動かすコツを掴んでくるものだけど、コバは引継ぎもなしに老舗企業の社長になったようなものだ。しかも彼は前任者の方針を完全に覆そうとしている。うまくいくはずがない。

そのために非常に視野が小さくなり、あらゆることに短絡的な回答を求めた結果、危なそうな奴は閉じ込める、言うことを聞かない部下は排除するという行動に出たのだろう。

これもまた、スターリンや毛沢東といった歴史上の独裁者の特徴を捉えているようで興味深かった。

こじれた関係の修復は不可能

そこに復活したシーザーが舞い戻ってくる。コバに味方する部下はいなかったこともあり、シーザーは猿軍団の指揮権を奪還。

もしもアメリカ人以外が監督していれば、シーザーは人間を解放し、猿たちは森に帰ってハッピーエンドとするところだろうが、アメリカ人は戦争の厳しさをよく知っており、結末もビターなものとなっている。

コバという反乱分子にそそのかされた結果とはいえ、猿が人間に戦争を仕掛けた格好になってしまった。

身の危険を感じた人間たちは猿を本気で潰しにかかってくるはずで、ここから先、両種族の戦争の泥沼化は避けられない。

望まない戦争ではあるが、これから始まる総力戦は戦いきらねばならないという覚悟を決めるシーザー。

一度始まってしまった戦争を都合よく終わらせることはできない。イラクという国をひっくり返した後になって、「やっぱり大量破壊兵器はありませんでした。戦争は誤りでした」と言ったところで間違いが清算されるわけもなく、フセイン政権以上に危険な勢力と戦わねばならなくなったアメリカ国民の現実が、はっきりとスクリーンに映し出される。

どちらかが倒れるまで、彼らは何十年かかっても戦いきらねばならないのだ。

戦争周りの事象をここまで克明に描いたSF映画は今までなかった。本作はシリーズ最高傑作どころか、SF史上の傑作に数えてもいいレベルの作品だと思う。

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