【凡作】マスターズ/超空の覇者_コナンとスターウォーズのハイブリッドパクリ(ネタバレあり・感想・解説)

SF・ファンタジー
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(1987年 アメリカ)
子供の頃には好きな映画だったけど、あらためて見るとつまらなかった。こういうのを子供騙しと言うのだろう。年代を考慮してもVFXはチープだし、暴力性を排除されたドルフ・ラングレンも魅力に欠ける。

作品解説

キャノン・フィルムズがファミリー映画に進出

アメリカの玩具大手マテル社の「魔界伝説ヒーマンの戦い」”Masters of the Universe”の実写化。

1982年にアクションフィギュアシリーズが発売されて以来、コミックやアニメ等のメディアミックスで成長し、満を持しての実写映画化となったが、その製作に乗り出したのはB級アクションで80年代の映画界を席巻したキャノン・フィルムズだった(日本の光学機器メーカーとは無関係)。

80年代前半にチャールズ・ブロンソンやチャック・ノリスの映画で荒稼ぎしたキャノン・フィルムズだが、興行的成功で業界を潤わせたにも関わらず、一向に敬意を得られないことに不満を抱いていた。

そこで業界内での存在感を高めるべく、80年代中盤より大作路線に振り切ったのだった。

トビー・フーパー監督の『スペースバンパイア』(1985年)やスタローン主演の『コブラ』(1986年)など、本当にこれで敬意を得られると思っていたのかと正気を疑いたくなるラインナップではあるが、兎にも角にもそんな流れの中で製作されたのが本作である。

中年男性を対象とした暴力映画ばかりを撮ってきたキャノン・フィルムズにとって初のファミリー向け映画であり、特殊効果に『スターウォーズ』(1977年)のリチャード・エドランド、プロダクションデザインに『レイダース/失われた聖櫃』(1981年)のウィリアム・スタウト、音楽に『ロッキー』(1976年)のビル・コンティ、編集に『アラビアのロレンス』(1962年)のアン・V・コーツ、脚本に『ダーク・クリスタル』(1982年)のデヴィッド・オデルと、物凄いメンツを揃えてきた。

製作費は2200万ドルで、『アンタッチャブル』(1987年)『リーサル・ウェポン』(1987年)といった同年公開のメジャー大作にも引けを取らない金額。

主演は『ロッキー4/炎の友情』(1985年)で脚光を浴びたドルフ・ラングレン。ドルにとっての初主演作となる。

共演はトニー賞受賞歴を持つ舞台俳優フランク・ランジェラ。4歳の息子がヒーマンのファンだったことが本作への出演理由らしいが、どうやらランジェラ自身も本作がお気に召したらしく、後年においても最も気に入っている役柄として本作で演じたスケルターを挙げている。とてもいい奴だ。

またヒロイン役としては、後にテレビドラマ『フレンズ』(1994-2004年)で大人気となるコートニー・コックスがキャスティングされている。

そんなわけで鉄板のようなメンバーで製作された本作だが、撮影に入った直後から不協和音が響き始める。

何かしらを感じ取ったのか、マテル社が約束していた製作費の半額を入金してこなかったのだ。一時的に撮影は中断し、クライマックスの戦闘シーンはゲイリー・ゴダード監督の経費立替で何とか撮影された。

加えて、映画製作中に玩具の売上が落ち込み始めた。何か呪われてるんじゃなかろうか。

1987年8月7日に全米公開されたが初登場4位と低迷し、全米興行成績は1700万ドルにとどまった。本作の赤字がキャノン・フィルムズ倒産の一因となったとされる。

1988年には不屈の闘志で続編が企画されたのだが、この頃のキャノン・フィルムズの資金繰りはかなり悪化しており、製作にまで漕ぎつけずマテル社に映画化権を返上した。

ただしセットや衣装ですでに200万ドルを費消済みであり、これを回収すべく突貫で製作されたのがジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の『サイボーグ』(1989年)だった。

こちらは僅か50万ドルの予算とたった23日間の撮影期間で製作されたが、全米だけで1000万ドルを稼ぐスマッシュヒットとなり、火の車だったキャノン・フィルムズにとっての一時の涼となった。

後にヴァンダムとラングレンは『ユニバーサル・ソルジャー』(1992年)で共演を果たすが、ユニソルを製作したカロルコ・ピクチャーズもまた、キャノン・フィルムズと似たような末路を辿ることとなる。

つくづく人は学ばない生き物だ。

感想

昔、日曜洋画劇場でやってましたな

小学生の時に日曜洋画劇場で見て、当時はかなり好きだった映画。録画したビデオテープでも繰り返し鑑賞した。

本作を含む当時の録画テープは長らく実家で保管しており、昨年末に帰省した際に何本か東京に持ち帰ろうとしたのだが、母親からは「捨てた」という衝撃の回答が返ってきた。

本作だけではない。『コマンドー』(1985年)『プレデター』(1987年)『ダイ・ハード』(1988年)『スペースバンパイア』(1985年)も、貴重な当時の録画テープは根こそぎやられていた。

目の前が真っ暗になった。自分の幼少期のアルバムをなくすよりもつらかった。

捨てるという本能を持ったおかんという生き物を、私は甘く見ていたようだ。「捨てるな」と釘を刺しておけばよかったと、何度も何度も自分の落ち度を責めた。

確かにこれらの吹き替えが収録されたBlu-rayは発売されている。しかし淀川長治さんの解説で始まり、間にレナウンとかネスカフェとかのCMが入る当時のテレビ放送をフルパッケージで楽しみたいこともあるのだ。

奇跡的に生き残っていたのがゴールデン洋画劇場で放送された『大逆転』(1983年)なんだけど、これにはあんまり思い入れないんだよなぁ。急いで保護したけど。

そんなわけで当時の録画を楽しめなくなったので、日曜洋画劇場版の吹き替えが収録されたBlu-rayを購入した。

コナンvsスターウォーズ

改めて見ると、思いのほかショボい。

音楽もビジュアルも『スーパーマン』(1978年)の劣化コピーでしかないオープニングクレジットの時点で「ショボっ」と感じてしまった。

惑星エターニアはスケルター(フランク・ランジェラ)率いる悪の軍団の手に落ち、ソーサラス(クリスティーナ・ピックルズ)という重要人物らしきおばちゃんは囚われの身となっていた。

ヒーマン(ドルフ・ラングレン)ら自由の戦士たちはソーサラスの奪還に向かうのだけど、アッサリと返り討ちに遭い、いよいよ追い込まれたところでワープ装置を使って逃げる。ただし、あまりに急だったので座標などは適当で、よく知らない辺境の惑星へと飛ばされた。

それこそが地球であり、ヒーマンを追いかけてきたスケルターの手下たちとの戦いがアメリカの田舎町で始まるというのが、ざっくりとしたあらすじ。

ヒーマンとソーサラスの関係や、スケルターはなぜヒーマンに執着しているのかといった肝心の部分が端折られているので、話が全然頭に入ってこない。元となった玩具やコミックに慣れ親しんでいたアメリカの子供達にとってはご承知の事実だったのだろうか。

そして惨たらしいのがキャラクターたちの造形であり、ドル扮するヒーマンはパンツにマントを羽織った変態スタイルの上に、似合わないロン毛で安っぽい北欧メタルのようだ。さすがにこれは惨すぎる。

ヒーマンの仲間ティーラ(チェルシー・フィールド)は全身タイツのような衣装に革紐のアクセントがつけられており、エロを意識したキャラクターでもないはずなのに、ボディラインくっきりで超恥ずかしい。

お尻の割れ目に沿って革紐を通すのだけはやめてあげて欲しかった。

演じるチェルシー・フィールドは『コマンドー』(1985年)で「連れは死ぬほど疲れてるから起こさないでくれ」とお願いされる客室乗務員役や、『ラスト・ボーイスカウト』(1991年)でブルース・ウィリスに愛想尽かして不倫する奥さん役、『ハーレーダビッドソン&マルボロマン』(1991年)でマルボロマンの彼女のバージニア・スリムというふざけた名前の役など、80年代から90年代にかけてちょいちょい見かける人だったが、ようやく掴んだ大役が全身タイツとは気の毒すぎる。

やる気のなさの表れか、ティーラが光線銃を撃つ際のフォームが超いい加減で、到底当たるとは思えない射撃をするあたりもカックンだった。

ヒーマン一味のスタイルは劣化版の『コナン・ザ・グレート』(1982年)だったが、対するスケルター一味はモロに『スターウォーズ』(1977年)の帝国軍。

こちらはヒーマンよりもいくらかマシで、下っ端の兵士などは結構かっこいいと思ったけど、セリフのあるキャラクターの造形はやはりイマイチだった。出来損ないのライオン丸とか、スカウターみたいなのをつけたハゲとか、いちいち安っぽい。

こいつらが「選りすぐりの精鋭」と言われているのだから、スケルター軍のレベルもたかが知れている。一流スタッフを招集してもこうなってしまうのが、キャノン・フィルムズの悲しいところだ。

予算が足らなかったのか、田舎町でのグダグダがやたら長くて退屈だったし、スケルター側の追っ手が異常に弱くてバカなので、両者の小競り合いには緊張感が全くない。

そこに高校生カップルが絡んできて、二人の成長譚の様相も呈する。彼氏の趣味である音楽が戦いに生かせるかもというくだりが彼らのドラマのハイライトになるのかと思いきや、「やっぱりできない」と言い出して結局はヒーマン一味にお任せするのだから、この脚本は何を考えて書かれたのかと理解に苦しんだ。

そんなわけでいろいろ酷いもんだったけど、ヒーマン一味の居場所をついに突き止めたスケルター軍が田舎町に進駐してくる場面のスペクタクルは、本当に素晴らしかった。

幼少期の私が本作のハマったのも、こうした「見たい!」と思う場面が素直に映像化されていたからだろう。

テーマパークのショーみたいなラストバトル

以降は惑星エターニアに舞台を移しての最終決戦となるのだけれど、何の説明もなく突如パワーアップするスケルターとか、パワーアップ後のスケルターとも互角に戦えてしまうヒーマンとか、やはり雑な展開が多すぎた。

ヒーマンとスケルターの戦いが始まった瞬間に照明が切り替わるという演出は斬新だったけど、この演出がテーマパークのショーっぽくて映画らしさがなくなるのはいただけなかった。

ゲイリー・ゴダード監督は本作一本を撮ったっきりで映画界から足を洗い、以降は子供向けヒーローアクション『キャプテンパワー』(1987-1988年)などを手掛けるのだけど、さらにその後はテーマパークのアトラクションに関わるようになり、『ターミネーター2:3D』や『アメージング アドベンチャー オブ スパイダーマン: ザ ライド』などを手掛けて大成した。

本作の謎演出がアトラクション設計の際に生きたとするならば、この映画も決して無駄ではなかった。

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