【まとめ】アクション映画の勝てる気がしない強敵【深い絶望感】

雑談
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随分前に『主人公が強すぎる映画トップ5』を書かせていただいたが、逆に敵が異常に強いアクション映画も存在する。今回は「いったいどうやって倒すんだ」と見ている側がハラハラさせられるほどの強敵をリストアップさせていただいた。

立ちふさがる巨大な壁 イワン・ドラゴ/『ロッキー4/炎の友情』(1985年)

私が現在用いているハンドルネームの由来にもなった思い出の強面。

小学生の時に水曜ロードショー(日テレではなくTBSの方)で見たのが初見だけど、ドルフ・ラングレンの仕上がりすぎた肉体とドライすぎる目つきには、予告の時点でおしっこチビりそうになった。完全に関わっちゃいけない人なのだ。

予告の時点でドルの見た目に怯え切っていた私は恐る恐る本編を見たのだけど、拳ひとつでアポロを殺害するなど、本編での暴れっぷりは予想の遥か上をいっていた。

これまでとは明らかに別次元の敵であり、チャンプであっても勝てる要素はなく、「ロッキーよ、プライドなどどうでもいいから勝負を降りろ!一刻も早く引退しろ!」とエイドリアンのような心境で物語を見守ったものだ。

思えば『ロッキー4』は難しい企画だった。

試合には負けたが自分には打ち勝った『ロッキー』(1976年)、アポロとのリターンマッチに勝利して名実ともにチャンピオンになった『ロッキー2』(1979年)、チャンピオンとしての慢心に打ち勝った『ロッキー3』(1982年)と、前作まででロッキーのドラマは一巡していたのだ。

スタローン自身も『3』を最終作とするビジョンであり、かつてのロッキーの分身ともいえるハングリー精神の塊クラバー・ラング(ミスターT)を悪役に据え、前作までの好敵手アポロが味方として駆け付けるなど、アクション映画としてのおいしいところを全投入していたので、『3』の大団円後にはもう何も残っていなかった。

ラオウ編後の『北斗の拳』、フリーザ編後の『ドラゴンボール』を思い浮かべていただければ分かりやすいが、最大の盛り上がりを迎えた後の「もっと強い敵が現れました」は、たいていグダる。

設定上は強いということになっているだけで、視聴者・読者の目に残すインパクトはそれほどでもないからだ。

その点、本作はこれまで登場したどの敵よりも強いと一目で分かる新キャラを作り上げることに成功している。

2m近いドルの巨体と仕上がりすぎた肉体は、ロッキーの前に立ちふさがる巨大な壁。

ほとんど言葉を発しないあたり、ドラゴ側のストーリーをまったく作れていなかったのだろうと思うが、そのことが作劇上の欠点にはなっていない。それほどまでにドルの見た目に説得力がありすぎるのだ。

そしてアポロが素人同然に滅多打ちにされるなどパワー描写も的確で、スタローンは優れたアクション映画監督であることが分かる。

素晴らしいアクション俳優とアクション監督が出会った時に起こった奇跡こそが、イワン・ドラゴというアクション映画史上屈指の強キャラなのである。

圧倒的な破壊と殺戮 ターミネーター/『ターミネーター』(1984年)

肉体が生み出す説得力と言えば、ドルの先輩格であるシュワルツェネッガーを忘れてはいけない。

『ターミネーター2』(1991年)以降は大作化が進んでいった『ターミネーター』シリーズだが、第一作のみ『ハロウィン』(1978年)のようなスラッシャー映画のフォーマットが適用されており、ここでのターミネーターは圧倒的な破壊と殺戮の象徴だった。

幸いなことに、私は『T2』が製作される前に本作を鑑賞しており、良い人化が進む前の純然たる暴力装置としてのターミネーターに触れることができた。現在から振り返ると、この鑑賞体験は貴重だったと思う。

冒頭、見たこともないほどの肉体の男が現れ、絡んできたヤンキー3人組を素手で瞬殺してしまう。その有無を言わせぬ暴力性には圧倒された。

目に生気は宿っておらず、目的を果たすためならば常人にとって想像もつかないことだって平気でやってしまうのだろうというヤバさが滲み出ている。こいつに狙われたら終わりだということが一目で伝わってきた。

標的となるのは女子学生のサラ・コナー(リンダ・ハミルトン)。ゆくゆくは人類解放軍のリーダーを産むことになるらしいが、現時点でそんなことはどうだっていい。20歳そこそこの小娘が圧倒的な暴力装置につけ狙われることこそが、本作のキモなのである。

大勢の客でごった返す週末のクラブに逃げ込もうが、警察署に保護されようが、ターミネーターはやってくる。モーテルに身を隠しても居場所を突き止めてくる。このしつこさが本当に怖い。

有名な話だが、当初、ターミネーターを演じる予定だったのはランス・ヘンリクセンで、何のヘンテツもない中肉中背の男がヒロインに忍び寄り、突如暴力性を発揮するという映画だった。

そしてヒロインを守る屈強なボディガードとしてアーノルド・シュワルツェネッガーの名前が挙がっていたのだが、キャメロンはシュワの爬虫類系の顔立ちに目をつけて、彼をターミネーターとしてキャスティングした。

ここで映画のコンセプトは大きく変わったのだが、『ハロウィン』(1978年)のマイケル・マイヤーズや『13日の金曜日PART2』(1981年)のジェイソン・ボーヒーズが示す通り、スラッシャー映画の悪役は巨体である方がより怖い。キャメロンは土壇場で正しい選択をしたと言える。

ハイテク×身軽×大柄 プレデター/『プレデター』(1987年)

上記『ターミネーター』(1984年)で無敵の悪役を極めたシュワは、続く『コマンドー』(1985年)でチート級に強いヒーロー像をも体現した。

善悪両サイドで無敵を極めたシュワルツェネッガーは、次の対戦カードに窮することとなる。何せ、シュワが圧勝することは分かっているので、観客が手に汗握る要素がないのだ。現に、その後製作された『ゴリラ』(1986年)『バトルランナー』(1987年)も凡作だった。

そこで組まれたのが異星人との異種格闘技戦だったが、ここで映画史に残るキャラクターが誕生する。公開後35年以上を経てもなお抜群の人気を誇り続けるプレデターである。

私の初見は小学生の頃のゴールデン洋画劇場だったが、当時は『プレデター2』(1990年)公開前であり、この時点でプレデターはそこまでの有名キャラではなかった。

そしてゴールデン洋画劇場も気が利いたもので、予告の時点でプレデターの姿を映し出すことはなく、あたかも『コマンドー』(1985年)のような軍事アクションとして宣伝していた。

純然たるアクション映画だとばかり思って見ていた私は、後半でSFに突入していく展開には大興奮だったし、ついにプレデターが姿を現す場面ではビックリこいた。劇中の流れであのデザインを初めて見ると、本当に腰抜かす。

先ほどの『ターミネーター』(1984年)と言い、私の映画鑑賞歴はなかなか恵まれていると思う。

冒頭で「俺たちはレスキュー隊で殺し屋じゃない」と啖呵を切ったダッチ(アーノルド・シュワルツェネッガー)ら特殊部隊だが、いざジャングルに降り立つと殺戮の花を咲かせ、南米のゲリラ組織をいとも簡単に壊滅させる。

その岐路、姿の見えない敵によって一人ずつ血祭りにあげられていく。

屈強な男たちがビビり始めることで、「これは本格的にヤバイ敵だ」という緊張感が観客にも伝わってくる。この辺りのジョン・マクティアナンの演出は実に見事だった。

光学迷彩で身を隠し、木と木の間を飛び回る様からは小柄な敵を想像したが、ついに姿を現したプレデターはシュワが見上げるほどの巨体。このギャップにも絶望した。体格も武装も主人公の遥か上をいっているのだ。

ついに部隊が全滅し、ひとりになったシュワが追い込まれる場面の絶望感は凄まじかった。本当にシュワがやられてしまうんじゃないかという気持ちにさせられたのは、後にも先にもこの時限り。

シュワですら通用しないと思えるほどの敵を創造してみせた本作製作チームの仕事は驚異的だったし、微かな勝機をつかんだ瞬間からのシュワの逆転劇には大興奮だった。

武装の宝石箱や~ ロボコップ2号/『ロボコップ2』(1990年)

そして圧倒的な巨体と武装を極めたのがロボコップ2号だ。

オリジナルの倍近い体躯には、ガトリングガン、ミサイル、機関砲と、飛び道具という飛び道具が取り付けられまくっている。

さらにはカッターやトーチといった工具類、果ては垂直の壁を駆け上がることにも使える隠し腕など、設計段階で一体どんな利用場面を想定していたんだか首をかしげざるを得ない新機能まで盛り込み、フルスペックを通り越してオーバースペック状態だ。

前作『ロボコップ』(1987年)でのアレックス・マーフィ=ロボコップの活躍も空しく、デトロイトの治安は悪化の一途を辿っていた。しかもマーフィの遺族からは「あれはうちの亭主だ」と訴えられる始末。

デトロイトの治安維持を請け負う巨大企業オムニとしては看過できない状況が続き、より武装を強化したロボコップ2号の開発計画が始まる。

しかし問題は頭脳であった。オリジナルと同じく生身の人間の頭脳を使用するものの、自分が機械にされたという事実に耐えられる者がおらず、テストはことごとく失敗した。

図らずも、アレックス・マーフィ=ロボコップは稀有な存在だったことが証明されたわけだ。

ただしここでプロジェクトを諦めるわけにはいかない。常人の脳で耐えられないならヤク中の脳を使えばいいと、研究チームの女科学者がとんでもないことを言い始めた。ロボのコップを作るというそもそものコンセプトは、遠の昔に忘れ去られたらしい。

いよいよ末期症状だと思ったが、次回作にてオムニ社は破産し、日系企業カネミツに買収されるという憂き目に遭う。

兎にも角にもヤク中の頭脳を積んでロールアウトしたロボコップ2号だが、知性の欠片も感じさせない巨体に倣い、お披露目の場での起動直後に暴走を始める。

そこら中に銃弾の雨を降らせ、殺戮の花を咲かせる2号。もはや誰にも止められないんじゃないかというほどの暴れっぷりで、ヒールとしての魅力を全開にする。これはこれで十分アリだ。

そして火事場に駆け付ける元祖ロボコップ。2号と比べるとショボさが際立つ。

人間味あふれるオリジナル vs 完全に人間捨ててる2号という対比をメカデザインでうまく表現できており、機能面で勝る新型機が旧モデルを圧倒するという構図には緊迫感が宿っている。

映画の出来はいろいろとアレだったけど、ヒーローものとしては完全に正しい作品となっている。

巨大な権力を持つ狂人 スタンフィールド捜査官/『レオン』(1994年)

狂った刑事は生身でもいる。

『レオン』(1994年)の悪役スタンフィールド(ゲイリー・オールドマン)は麻薬取締局の捜査官だが、仕事中にクスリをキメるわ、取り締まる側の権力を逆手にとって自ら麻薬取引に手を染めるわと、やりたい放題。

しかも残虐で、女・子供だって容赦なく処刑する。

ある日も、麻薬に混ぜ物をした密売人を家族ごと処刑したが、3人いた子供のうち、偶然にも買い物に出ていた一人を取り逃がしてしまう。

その子はマチルダ(ナタリー・ポートマン)と言い、わずかに交流のあったお隣さんの部屋に逃げ込む。そのお隣さんが腕利きの殺し屋レオン(ジャン・レノ)だということが判明し、マチルダはレオンに殺しのスキル伝授を懇願するというのが、ざっくりとしたあらすじ。

こうして振り返ってみると、家族を警察に処刑された子供のお隣さんが、偶然にも良い仕事をすることで有名な殺し屋だったという設定には相当な無理があるが、全盛期のリュック・ベッソンの手腕には、無理を無理とも感じさせない凄味がある。

親の仇をさっさと処刑してマチルダを納得させる方がレオンにとっても楽だったはずなのだが、そうしなかったのは、やはりスタンフィールドが手ごわすぎるという判断があったからだろう。

スタンフィールドは狂っているだけではなく優秀であり、麻薬取締局内での職位も高い。トラブルメーカーで上から目を付けられてはいるが、かと言って現場から外すこともできないエース級人材として扱われている。

手を出すと一番ヤバイ相手なのだが、マチルダは深い考えもなくスタンフィールドのオフィスに突撃してしまう。

事態を察知したレオンは何とかマチルダを救い出すが、巨大な権力を持つ狂人を刺激してしまったことから、二人は凄まじい反撃を受けることとなる。

スタンフィールドは即座にレオンの居場所を突き止めると、200人もの警官隊を動員して拠点のホテルを取り囲む。この情報網と圧倒的な権限こそがスタンフィールドの厄介な点なのだ。

演じるゲイリー・オールドマンのエキセントリックな演技とも相まって、スタンフィールドは見る者に猛烈な印象を残す。本作のインパクトがあまりにも強すぎて、ゲイリー・オールドマンの元にはしばらく悪役のオファーが殺到した。

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