【凡作】ジュラシック・ワールド/復活の大地_シリーズの縮小再生産品(ネタバレあり・感想・解説)

クリーチャー・メカ
クリーチャー・メカ

(2025年 アメリカ)
見せ場にも展開にも既視感バリバリの、シリーズの縮小再生産品。差別化を図ろうとして出してきたラスボスの「コレジャナイ感」も凄く、ジュラシック・パークというコンテンツでやるべきことはもう残っていないということを再認識した。

感想

子供と一緒にIMAXで見に行ったけど、イマイチすぎて数週間も放置していた。本格的に忘れる前に一応感想文を書いておくけど、内容が薄いことは冒頭で断っておく。

前作『新たなる支配者』(2022年)にてDNA再生された恐竜たちが世界中に拡散したが、やはり彼らに現代の地球環境は不向きだった。5年後の世界が舞台の本作では、赤道付近を除いて恐竜はほぼ死滅したとのこと。

長期シリーズではよくあることだが、こういう行って来いの設定は見ていて萎える。

そんな折、心臓病の特効薬開発をしている製薬会社が恐竜の有用性に着目し、DNAを採取して来いとのミッションが下る。

細々とではあるがいまだ都市部にも野良恐竜が出没しているようだし、そいつらから採取すればいいんじゃないかと思うところだが、陸・海・空それぞれの最大種のDNAが必要であると、分かったような分からんような理論が飛び出す。

彼らが生息しているのは、ジュラシック・パークを作ったインジェン社が、かつて恐竜の研究施設を置いていた島。

『1』のイソラ・ヌブラル、『ロストワールド』のサイトBなど、インジェン社絡みの島は一体いくつめだよと鼻白むが、とりあえずそういうことらしい。

スニッカーズの空袋一枚が換気扇に吸い込まれただけで全体が危機的状況に陥るような酷い施設で、インジェン社は潰れて当然の経営をしていたと言える(『1』では産業スパイに電源を落とされただけで壊滅したし)。

で、傭兵のリーダー スカーレット・ヨハンソンが金目当てでミッションに挑むのだけど、そのうち金以上の価値に気付くというのが、本作のドラマツルギーなるものだ。

ただし初登場の時点でスカヨハが金の亡者にも見えないので、彼女の成長譚としてはまったく機能していない。

なもんで傭兵部隊だけでは2時間持たないと判断されたのか、ヨットでの大西洋横断中にモササウルスに襲われたおかしなラテン一家もアドベンチャーに途中参加する。

父+娘2名の一家水入らずの大西洋横断に、なぜか姉ちゃんの彼氏が同行しているのである。婚約者ならいざ知らず彼氏が同行するか?しかも普通の家族旅行ではなく大西洋横断という、命のかかった、それこそ一蓮托生という言葉までが見えてくる大冒険に。

こいつの存在があまりに謎すぎて、しばし家族構成を理解できなかったからね。

「一家の兄か?それにしちゃオヤジの歯切れが悪いな。親戚の子がくっついてきたのか?もしくはここには居ない奥さんの連れ子?」と、いろいろ考えてしまったんだが全部ハズレ。なぜこんな謎構成にしたのか、脚本家の意図を私は理解できなかった。

兎にも角にも、困難なミッションに挑む傭兵たちと、大自然からのサバイバルを目指すファミリー、作品は2つの軸で推移することに。前者は『ロスト・ワールド』(1997年)、後者は『ジュラシック・パークⅢ』(2001年)の印象に近く、よく言えばシリーズ集大成、悪く言えば過去作品の再生産品だと言える。

本作の脚本を書いたのは、かつて『ジュラシック・パーク』(1993年)『ロスト・ワールド』(1997年)を担当したデヴィッド・コープ。この人選より、原点回帰の意図は企画当初よりあったものと推測できる。

コープは『ジュラシック・パーク』(1993年)のみならず、『ミッション:インポッシブル』(1996年)『スパイダーマン』(2002年)なども執筆し、90年代から2000年代にかけてのハリウッドを担っていた脚本家だった。

私は大御所復帰の一報にちょっと色めき立ったのだが、直後「ちょっと待てよ」と冷静になった。

ドルフ・ラングレンの『ダークエンジェル』(1990年)やトム・クルーズ主演で大コケした『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(2017年)、インディ・ジョーンズの4と5を書いたのもこの人で、当たりハズレが激しいのだ。

で、今回はハズレの方だったと言える。

感情移入できるキャラクター、観客から好感を抱かれるキャラクターは皆無で、死んでも生き残ってもどっちでもいい人達が繰り広げるサバイバル劇には緊張感が宿っていないし、「多分こいつは生き残るだろう/死ぬだろう」という予想はおおむね当たる意外性のなさ。

ポリコレ的に死なせちゃいけない属性の人達は、ほぼ100%の確率で生き残るのである。ポリコレ配慮の恐竜さんたちの暴れっぷりに手に汗は握れんだろ。

また恐竜が暴れるシチュエーションにも工夫がなくて、「パーク」シリーズ3作と「ワールド」シリーズ3作の過去6作で見てきたアクションの繰り返しでしかなかったこともしんどかった。

唯一、モササウルス、スピノサウルスとのチェイスは『ジョーズ』(1975年)をモチーフにしているようで新しかったけど、合間に挿入される人間同士のいざこざが勢いを奪っていた。

各自、様々な思惑があっていいけど、恐竜に襲われて生きるか死ぬかの状況では、そんな背景など吹き飛んで一致協力してくれないと、相対的に脅威の度合いが低下してしまう。

また小さな女の子が連れて歩く小さな恐竜には、一体何の意味があったんだろう。

人間たちが危機に陥ったところに、あの恐竜の親が駆けつけてピンチを脱する的な展開を予測していたんだけど、本当に何の意味もなかった。

最後の最後に出てくるのが恐竜ではなくモンスターだったのもどうなんだろう。このシリーズに求められていることは何か、あらためて考え直した方がいいと思う。

≪ジュラシック・パーク シリーズ≫
【良作】ジュラシック・パーク_元祖にして決定版
【凡作】ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク_ほとんど人災
【良作】ジュラシック・パークⅢ_おっさんの成長譚
【凡作】ジュラシック・ワールド/復活の大地_シリーズの縮小再生産品

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