【良作】リプレイスメント・キラー_銃撃戦だけで成り立っている映画(ネタバレあり・感想・解説)

クライムアクション
クライムアクション

(1998年 アメリカ)
公開当時には映画における弾丸発射数の最高記録を打ち立てたとかで、ひたすらドンパチだけをしている映画。ドラマ要素は皆無に等しいが、上映時間が短いのでアクションのコラージュだけでも何とか持ち堪えており、本サイト的には良作と判断していいと思う。

ジョン・ウー製作×チョウ・ユンファ主演

チョウ・ユンファのハリウッド進出作だが、デビュー作でいきなり大手スタジオ作品で主演という扱いはスティーヴン・セガール以来ではないだろうか。この破格の待遇に、ユンファに対するハリウッドの期待がうかがえる。

製作を手掛けたのは香港時代からの盟友ジョン・ウー。ただしウーがどの程度プロダクションに関与していたのかはよく分からない。

この頃のジョン・ウーはドルフ・ラングレン主演のTVM『ブラック・ジャック』(1998年)を自ら監督したり、マーク・ウォルバーグ主演のアクション・コメディ『ビッグヒット』(1998年)をプロデュースしたりと、まぁ大忙しだったのだ。

監督を務めたのは、後に『イコライザー』シリーズを手掛けるアントワン・フークア。

ミュージックビデオを多数手がけてきたフークアの長編映画デビュー作であるが、ビジュアルの巨人だけあってジョン・ウーのスタイルをかなりのクォリティでコピーできており、見せ場の満足度は総じて高い。

ユンファが演じるのはチャイニーズ・マフィアお抱えの殺し屋ジョン・リー。

ある日、チャイニーズ・マフィアの若い衆が大捕り物の末にジーコフ刑事(マイケル・ルーカー)に射殺されるんだけど、ダイアン津田似の若い衆は、実はマフィアの大親分の実子であり、怒った大親分は早速リーを呼び寄せてジーコフ個人への復讐を命じる。

さっそく現場へ向かうジョンだが、一家団欒のジーコフを見て思うところでもあったのか命令を放棄。こうしてリー自身も追われる身になるというのが、ザックリとしたあらすじ。

突如人情に目覚めて殺しをためらう殺し屋像はアクション映画における定番であるが、あえてこのシナリオが選ばれたのは、流暢な英語を話せなかったユンファへの配慮からだろう。

紋切型の話なのでイチイチ状況説明をする必要がなく、心象風景などというしち面倒くさいものを排除しても、観客はちゃんと話を理解できる。これなら主人公がまともな英語を話せなくても大丈夫だ。

リーが暗殺をためらった理由は最後まではっきりと説明されないし、彼の同伴者となる偽造パスポート屋メグ(ミラ・ソルヴィーノ)が、なぜリーにそこまで肩入れするのかもよく分からない。

分からないが、「とりあえずそういうこととして受け入れよう」と思わせるだけの勢いが本作には確かにある。

矢継ぎ早に繰り出される見せ場は楽しかったし、当時のアメリカ映画界における発射弾数の記録を塗り替えたというだけあって、銃撃戦には痺れるものがあった。デビュー作にしてアントワン・フークアはアクション監督としての才能を開花させているのだ。

タイトルの”The Replacement Killers”とは制御不能に陥ったリーの代わりに呼び寄せられた殺しの交代要員を指しており、『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』(1997年)で世界的な人気を博したドイツ人俳優ティル・シュヴァイガーと、お馴染みダニー・トレホがこれに扮している。なお本作はシュヴァイガーのハリウッド進出作でもある。

肝心のリプレイスメント・キラーズが恐ろしく弱いとか、マフィアあっさり壊滅しすぎとかいろいろと不満はあれど、ユンファの美しい立ち姿とラストの爽やかな笑顔を見ると、そんな細かいことはどうでも良くなってくる。

・・・こう書くと簡単に作られた映画のようにも思えてくるが、実のところ、現場はかなり荒れていたらしい。

新人監督アントワン・フークアの手腕に不安を覚えたコロンビアピクチャーズは、会社幹部を撮影現場に貼り付けた。映画界では新人とはいえMTV界では十分な実績をあげてきたフークアはこの扱いに激怒し、スタジオとの関係は険悪なものに。

『ニューヨーク1997』(1981年)や『フィッシャー・キング』(1991年)のベテラン・プロデューサー デブラ・ヒルが呼ばれて、現場の関係修復にあたったという。

また完成した映画を見たスタジオ幹部は人間ドラマが弱いと感じ、『ショーシャンクの空に』(1994年)や『セブン』(1995年)『エアフォース・ワン』(1997年)で知られる編集技師 リチャード・フランシス=ブルースが呼ばれた。

ブルースは登場人物たちの背景に係る描写をほとんどカットし、90分のアクションコラージュとして作品を引き締めた。

先ほどミラ・ソルヴィーノが主人公に協力する理由が分からないと書いたが、ファーストカットの時点ではユンファとのロマンスが描かれており、それが彼女の動機だったようだ。

スタジオとブルースは「そんなもん要らんだろ」とまるまる削ったわけだが、こうした大ナタの結果、ユルゲン・プロホノフなどは何のために存在しているのかすらよく分からんキャラクターとなってしまった。

大物が配置されているということは、元は何かしら重要な役割を担っていたのであろうが、完成した作品では居ても居なくてもどっちでもいいレベルにまで退化している。いつの間にかくたばってたし。

こうしたダイナミックな刈り込みによって随所に不整合は表れているが、それでも私はこの姿勢を積極的に評価したい。

仮に登場人物の背景や動機の描写を増やして2時間の映画になったとして、つまらなくて寝たはずだ。なぜなら、話自体は紋切型でつまらないものだからだ。

90分未満で疾走する勢いこそが、この映画の完成度を高めていると思う。

銃撃戦の最中にペチャクチャと湿っぽい話をするキャラクターがいない。すべてのキャラクターが生きるか死ぬかの撃ちあいに集中している。ありそうでなかったこういう見せ場は貴重である。

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