【凡作】エアフォース・ワン_タカ派大統領のテロ退治(ネタバレあり・感想・解説)

軍隊・エージェント
軍隊・エージェント

(1997年 アメリカ)
スケールの大きなアクション大作で個別場面には見応えがあるのですが、政治の描写が余りにお粗末でアクションと政治を絡めるというせっかくのコンセプトが死んでいるので、全体的な評価は低めです。シークレットサービスを主人公にした純然たるアクションにすればよかったのに。

作品解説

ケビン・コスナー主演作の予定だった

本作は『エンド・オブ・デイズ』(1999年)『インビジブル』(2000年)の脚本家アンドリュー・W・マーロウのスペックスクリプトが元になっており、当初主演に想定されていたのはケビン・コスナーでした。

コスナーは無名時代より付き合いの深かったローレンス・カスダンに監督させることを希望していたのですが、自身の企画『ポストマン』(1997年)とスケジュールが競合したことから降板。

その後、『ザ・シークレット・サービス』(1993年)を大ヒットさせたウォルフガング・ペーターゼンが監督に就任し、主演はハリソン・フォードに決定。フォードはペーターゼン監督作品『アウトブレイク』(1995年)の主演を断ったことがありました。

なおペーターゼンによると、フォードに断られた場合に考えていたキャスティング候補はアーノルド・シュワルツェネッガー、デニス・クェイド、キアヌ・リーブスだったようです。デニス・クェイドは適役だと思うのですが、シュワではネタにしかならないし、キアヌでは若すぎました。

また製作に当たってペーターゼンはエアフォース・ワン内部の見学を希望したのですが断られ、クリントン大統領との親交のあったハリソン・フォード経由でお願いしてようやく許可が下りたという裏話もあります。

ハリソン・フォードは本作で2000万ドルのギャラを受け取りました。

そして悪役には『レオン』(1994年)で強烈なインパクトを残したゲイリー・オールドマンをキャスティング。オールドマンは監督作『ニル・バイ・マウス』(1997年)の資金調達目的と割り切って本作に出演し、表現者としてのこだわりみたいなものは捨てていたようです。

その結果、彼の演じるイワン・コルシュノフの人格が作品内で一貫しないという問題が生じました。

全米年間興行成績第3位

本作は1997年7月25日に公開され、2位の『ジャングル・ジョージ』(1997年)に2倍以上の金額差をつけてぶっちぎりのNo.1を記録。2週目に入ってもさほど金額が下がらず、翌週も1位でした。

全米トータルグロスは1億7295万ドルで、これは『メン・イン・ブラック』(1997年)、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(1997年)に次ぐ年間第3位の売上高でした。

国際マーケットでも好調で、全世界トータルグロスは3億1520万ドル。製作費8500万ドルを考えると高収益な作品でした。

感想

ハリソン大統領が物凄いタカ派

米特殊部隊がカザフスタンのラデク将軍(ユルゲン・プロホノフ)を拘束する場面に続き、米大統領マーシャル(ハリソン・フォード)がモスクワの晩餐会にて「もうテロは許さない!今後合衆国は国際紛争にガンガン介入していく!」と宣言。新保守主義派も真っ青のスピーチをぶちかまします。

これを聞いて焦ったのが大統領の側近たちで、「おいおい、こんな話聞いてないぞ」と動揺し始めます。なんと政権内でのすり合わせも行わず、大統領のスタンドプレーで国家安全保障政策の転換を宣言していたのです。

ラデク将軍が一体どんな悪事を働いたのかは分かりませんが、マーシャル大統領の手法もかなり強引で褒められたものではなく、そのタカ派的な姿勢にはドン引きでした。

敵味方の単純な対立軸を生み出して悪者は退治しなければならないと主張し、閣僚たちとのすり合わせもなしに国際社会に向かって勝手に政策転換を表明。マーシャルも立派な独裁者気質の持ち主だと思いますよ。

そしてこのマーシャル大統領が理想的な人格の持ち主であるように描かれるのですが、人柄だけで言うと世界中の独裁者は良い人揃いなんですよね。アドルフ・ヒトラーが紳士だったのは『ヒトラー~最期の12日間~』(2004年)の通りだし、金正日の人柄が良かったこともお抱え料理人が明かしています。

人柄が良いことと大統領としての適性はイコールではなく、このマーシャルという男は大統領にふさわしくない人物ではないかと思ってしまいました。

こんな感じでマーシャルの人となりに対して好感を抱けなかったので、ちょっと厳しかったです。

政治的な葛藤が浅い

マーシャルが搭乗するエアフォース・ワンを、ラデク将軍の信奉者たちがハイジャックします。要求はラデクの釈放と米軍の即時撤退。本作は娯楽アクションと政治劇のハイブリッドを狙ったものと思われるのですが、残念ながらその目論見は失敗しています。

原因はやはりマーシャルの言動にあって、アクションヒーローとしては正解なんだが大統領としては不正解な行動が多いので困ったものです。

マーシャルは妻子を人質に取られた家庭人として行動しすぎであり、米大統領という地位では為すべきではない行動を連発。しかも二つの立場の狭間で葛藤するわけでもなく、迷うことなく個人の立場を優先して考えているのでせっかく置かれたテーマが没却しています。

例えば序盤。テロリストの襲撃に際してシークレットサービス達は命がけでマーシャルを脱出ポッドに乗せます。しかしマーシャルはシークレットサービス達の決死の思いを無視し、妻子の救出のために脱出ポッドから下りてしまいます。

「大統領とは人ではなく、その地位である」というセリフが示す通り、シークレットサービス達が身を挺して守ったのはマーシャルという個人ではなく大統領という地位なのですが、マーシャルはその思いをアッサリと無視して個人の事情を優先してしまうわけです。

その後も、テロリストから妻子に銃を向けられて「要求を飲め!」と迫られると妥協してラデク将軍を釈放するなど、冒頭の勇ましい演説からは考えられないような行動を連発。

こいつは大統領職を舐めているのかと呆れてしまいました。

そしてグレン・クローズ扮するベネット副大統領も問題で、他の閣僚たちが「マーシャルは大統領として公正な判断を下せる状況にはないから解任すべき」と正しいことを言っているのに、ベネットだけは「そのような信義にもとることはできない」と素っ頓狂な態度をとります。

今は大統領が人質に取られるという非常事態の真っただ中であり、まさに副大統領が辣腕を振るわねばならない場面なのですが、ベネットは平時と同じ個人的な情で判断しているのだから話になりません。

しかも他の閣僚たちが危惧した通り、マーシャルは個人の事情を優先してラデク釈放という誤った判断を下したのだから、ベネットの判断も誤ったということになります。

しかしガッカリなのが、作品全体がマーシャルやベネットが正しいという価値観で作られていることであり、政治劇としてのより大きな判断基準を持ち込んでいないために作品が小さくなったような気がしました。

こんなことならば大統領ではなくシークレットサービスを主人公にした方が良かったような気が。

大スケールのアクション

そんなわけで政治劇としては失敗しているのですが、スペクタクルの巨匠ウォルフガング・ペーターゼンが監督しているだけあって、アクション映画としては充実していました。

肉体を駆使した密室アクションと、VFXを駆使したスカイアクションが組み合わされているのですが、この二種類の見せ場が違和感なく繋がれていて見事な相乗効果を発揮しています。

密閉空間でのアクションと、その外側で起こるスペクタクルをここまで華麗に結び付けた作品は『ダイ・ハード』(1988年)以来であり、その見事な手腕には舌を巻きました。

特にハイジャック発生直後の狂ったような盛り上がり方は素晴らしく、見せ場の立ち上がりの早さと、そのテンションの高さを10分以上に渡って維持し続けるという絶倫ぶりには驚かされました。

見せ場だけならハイレベルなので、おかしな政治劇の要素を持ち込まなければよかったと思います。

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