(1989年 アメリカ)
語るべきドラマを見失った前作の劣化コピー。ビル・マーレイがゴネまくって製作に5年もかかったらしいが、この出来ならばマーレイが正しかったと思う。
感想
ほぼ前作の蒸し返し
前作から5年後。
あれほどの人気と知名度を獲得し、最終的にはNYを救ったにも関わらず、ゴーストバスターズの面々はペテン師扱いされる日々に苦しんでいる。
この時点でオリジンストーリーの蒸し返しのような気がして嫌な予感がしたのだが、案の定、本作は描くべきドラマを見つけられず、最後まで迷走しているように感じた。
メンバー達はゴーストバスターズだった日々を忌まわしき過去として封印し、それぞれの道を歩んでいるのだが、前作のヒロイン ディナ(シガニー・ウィーバー)の息子に危険が及んだことから、幽霊退治を再開することとなる。
そこに立ち塞がるのが行政の壁で、頭の固い分からず屋達が妨害活動をしてくるのだが、これは前作でも見た光景なので既視感バリバリだった。
しかも前半では判事が、後半では市長の秘書が妨害を仕掛けてくる。都合二度もやるような展開ではないので、やはりスカスカな印象を持ってしまう。
大人のロマンスを指向するも不発
ピーター(ビル・マーレイ)とディナ(シガニー・ウィーバー)の大人の恋愛が脚本レベルでは作品の軸だったのだろうが、観客に何かを感じさせるレベルに達していない。
前作後、ピーターとディナは交際したらしいのだが、程なく破局。気まずい別れ方だったようで、その後は接点を無くしていた二人だったが、数年ぶりに再会するとディナは未婚の母になっていた。
ヴィオラ奏者だったディナは子育ての時間を作るため海外出張の多いオーケストラを脱退し、現在は美術館で絵画修復の手伝いをしている。住まいも高級マンションから庶民的なアパートにかわった。
彼女にとっては何もかもが思うようにいかず、失うものの多かった5年間なのだろうが、キャリアの伸び悩みやプライベートの混乱といったテーマが観客の心にも響く形で提示されず、ただの設定で終わっていることが残念で仕方ない。
「なんでこんな人生になってしまったんだろう」「こんなはずじゃなかったのに」という負の感情をもっとストレートに描くべきだったと思うのだが、現在のディナもそれなりに満ち足りているように見えるし、そもそも皮肉屋だったピーターからは前作からの落差が感じられないしで、彼らを落ちぶれさせた意味があまりない。
そして、若く勢いのある時期に交際し、瞬く間に別れてしまったピーターとディナが、人生の酸いも甘いも嚙み分けた時期に再会し、今度はしっぽりとした大人の関係を築くというドラマも、まったくもって機能していない。
ビル・マーレイとシガニー・ウィーバーという良い俳優を使いながらこの有様なので、やはり脚本の出来が悪かったのだろう。
おばけ退治においてはNYに満ちる負の感情がスライム化して悪霊を蘇らせるという設定が置かれているが、これとピーターとディナのドラマもうまく絡んでいない。
夢破れた二人のネガティブな感情もまた悪霊の肥やしとなるも、今の人生を肯定的に受け入れることで悪霊に打ち勝つというドラマが本来指向されていたのだろうが、そもそも二人のドラマが脆弱なので見せ場と遊離しているような感覚を覚えた。
その結果、何とも退屈なドラマと、何とも退屈なおばけ退治が交互に映し出されるという、何とも締まりのない映画になっている。
見せ場のレベルは前作と同程度で、続編らしいパワーアップを遂げているわけでもないので、本当に見るべきところがない。
自由の女神が動きだすクライマックスには、前作のマシュマロマンほどのインパクトがない。
本作後にシリーズが長期のお休みに入ったことも納得の凡作だった。