(1986年 香港)
キャリアが途中で砕けたヤクザが己のプライドをかけて巻き返しを図る物語であり、ヤクザ映画ながらもサラリーマンがわが身を投影できる物語になっている点が本作のミソである。ままならない人生を送る人向けのアクションドラマ。

感想
大人が共感できるドラマ
ジョン・ウー監督の代表作のひとつ。
『フェイス/オフ』(1997年)の大ヒットでウーが時の人になった時に後追いで見たのが初見だが、その当時は10代の青二才だったこともあって、本作の面白さにはピンとこなかった。
しかし年齢を重ねれば重ねるほど良さが見えてくるもので、現在ではジョン・ウー監督作品の中で一番好きかもしれない。
本作の何が良いのかというと、表面上はヤクザ映画でありながら、大人ならばほとんどの人が共感できる一般的なドラマになっていることではないだろうか。
冒頭のホー(ティ・ロン)とマーク(チョウ・ユンファ)は脂の乗り切った極道であり、肩で風切ってビジネス街を闊歩し、富も敬意も十分すぎるほど得られている。
しかし台湾出張でホーが罠にはめられたことから二人の運命は一転。
ホーは刑務所で臭い飯を食う羽目となり、裏切り者への報復を行ったマークは銃弾を受けて足を不自由にしてしまう。
そして二人が可愛がってきた子分のシン(レイ・チーホン)がホーの穴を埋める形で出世し、今やマークをアゴで使う立場になっている。
組織内での転落と、先に出世して頭に乗る後輩の台頭。
これってサラリーマン社会でもよくあることで、大勢が共感できる一般的な図式をヤクザ映画に持ち込んだことが本作の強みとなっている。
本作は、ウー自身が台湾に左遷された時の経験が元になっているらしい。
ジョン・ウーは1970年代より映画監督として活動してきたが、芸術面でのこだわりを持っていたことから組織内での立場は安定しておらず、ある時に台湾支社への出向を命じられた。
しかも映画監督ではなく制作部長という事務方で出されたので、これは完全に戦力外通告だった。
台湾で3年耐えた後、ツイ・ハークの力添えもあって本作で監督復帰を果たす。
ツイ・ハークは「香港のスピルバーグ」とも呼ばれたヒットメーカーであり、その若手時代にはウーが面倒を見たこともあって、先輩の苦境を救ってくれたのである。
「3年も待ったんだ。巻き返そう」
出所したホーに対してマークは言う。
仕返しをしようとか幸福になろうではなく、巻き返そうという表現に重みを感じる。
栄光から転落して屈辱に耐え続けたマークは、何よりもまずプライドを取り戻したいのだ。
それは台湾で燻っていたジョン・ウーの思いであり、サラリーマンならばその感覚は痛いほど理解できる。
MVPはタクシー屋の親父
そんなマークの切実な訴えの一方で、ホーの腰は重い。なぜならホーはヤクザに未練はないからだ。
ホーはホーでマークとは違うつらい状況に置かれている。
可愛がってきた弟のキット(レスリー・チャン)からも逮捕以降は激しく恨まれ、あらゆる罵詈雑言を受けている。
キットに誤解されている部分、実態以上に悪く解釈されている部分も大いにあるのだが、自分がヤクザ者であることがそもそもの過ちだったという認識を持っているので、ホーは耐えて言い返さない。
多少思うところはあれど、「そもそも悪いのは俺だしなぁ」ということでグッと堪える感覚も痛いほど理解できる。人生とはままならないものだ。
出所後のホーの関心事は真っ当に生きることのみであり、家族から許されることが唯一の願い。
そんなホーの後押しをするのがタクシー屋の親父で、堅気の世界ではなにかと肩身の狭い思いをしている前科者たちを積極的に雇い、彼らの社会復帰を支援している。
ホーに対しても親身に接し、誘惑に負けるな、頑張れと諭す様は聖人の域に達している。本作中のMVPと言えるのは、タクシー屋の親父だろう。
激しく・美しく・雑な銃撃戦
なんだけど、運命はホーを自由にしてくれない。
シンからは「先輩よぉ、俺んとこで働けや。幹部待遇で迎えてやるきに」と思いっきり上から目線で勧誘を受けるのだが、ホーはこれを拒否。
するとシンからの激しい嫌がらせが始まり、マークはリンチを受け、勤務先のタクシー屋は襲われ、キットは撃たれる。
ここまでやられればさすがのホーも銃を手に取るしかなくなり、いよいよ最後の決戦となる。
二丁拳銃での射撃に、景気よく立ち上る火柱に、アクロバティックな動きと、ここからはジョン・ウー節全開の銃撃戦が始まって大いに目を楽しませてくれるのだが、リアリティよりもエモーション重視なのでおかしな点は多々ある。
正義の側が持つ拳銃の装弾数はほぼ無限で、気が向いたときにだけマガジンチェンジをするという適当さだし、足を悪くしていたマークは突然走ったり跳んだりし始める。 ジョン・ウーのおおらかさもドバっと出た見せ場なので、あんまり集中して見ないことをお勧めする。