【良作】キングコング2_38年早すぎた試み(ネタばれあり・感想・解説)

クリーチャー・メカ
クリーチャー・メカ

(1986年 アメリカ)
実は昏睡状態で生きながらえていたコングを、巨大な人工心臓とレディコングからの輸血で復活させるという力技の続編。アクションコメディ『ビッグ・ヒット』(1998年)でネタにされるなど駄作中の駄作ともいわれる作品だが、そこまで悪くはないと思う。

感想

はじめて映画館で観た映画

『ゴジラxコング 新たなる帝国』(2024年)が全世界で大ヒット中だが、同作で特に話題となっているのがコング主体で描かれる怪獣ドラマのパートである。

通常、怪獣映画には兼解説者のような人間キャラが登場し、怪獣たちのやっていることを事細かに説明してくれるのだが、『ゴジラxコング』からはそんなキャラすら排除されており、コングの咆哮と身振り手振りのみでドラマが進んでいくという、もはや狂気ともいえる時間が流れていた。

子供の頃から怪獣映画を見続ている私をしても驚きの構成だったと同時に、「かったるい人間ドラマを排除してほしい」という特撮少年たちの思いを愚直に叶えて見せた力技には感心したのだが、同じチャレンジをした映画をかつて見たことがあることをはたと思い出した。

それこそが本作『キングコング2』(1986年)である。

本作は私が初めて映画館で見た記念すべき映画でもある。当時は幼稚園児だったが本作のことは今でも強烈に覚えているので、一生の趣味を決定づけた映画ともいえる。

幼稚園児が感銘を受ける内容だったのは、ゴジ・コンに先駆けること38年も前に、怪獣オンリーのドラマを構築していたから。

本作はキングコングとレディコングのラブストーリーとして構築されており、人間キャラを間に挟むことなく二頭のドラマを展開させるという意欲的な試みがなされていたので、幼稚園児のハートにはぶっ刺さったのである。

1988年に日曜洋画劇場で放送された際にもバッチリ鑑賞し、やはり面白かった。「子供だまし」と言えばその通りかもしれないが、怪獣映画なんて本来は子供のものだからこの程度の完成度で良いと思う。

残念なのは、現代の日本においては鑑賞手段がものすごく限られているということ。

ディノ・デ・ラウレンティスが編み出したプリセールス(企画段階で映画の権利を売りさばくという資金調達方法)の弊害か、本作の権利関係は複雑で、20年以上前にリリースされた国内版DVDにはプレ値がついている。

幼少期の思い出の映画とはいえ、名作・傑作でもない本作に1万円弱は出せないぜと思っていたところ、困った時のオールドメディア頼みは有効で、初ソフト化時のレーザーディスクがなんと300円で叩き売られていたので、有難く購入させていただいた(国内未DVD化『ミラクルマスター/7つの大冒険』(1982年)も併せて購入。ワクワクが止まらない!)。

当時ものとは思えないほど綺麗なジャケット
しかし画質はガビガビで参った

かくして1988年の日曜洋画劇場以来、実に36年ぶりの再鑑賞となったが、基本的には記憶通りの内容だったので、子供にも的確に情報を与えるという点では、なかなか優れた作品と言えるのではないか。

38年早すぎた構成

前作『キングコング』(1976年)でワールドトレードセンターからの落下という悲劇的な最後を遂げたコングだったが、どっこい彼は生きていたというのが本作(原題”King Kong Lives”の由来)。

10年間は昏睡状態だったが、大猿用の巨大な人工心臓は開発済。あとは手術用の輸血を待つのみというところで、ちょうどよくコングの同種レディコングがボルネオ島で発見され、蘇生手術が施されるのが前半部分。

なぜ前作の舞台とはかけ離れた島にコングの同種が生息していたのかはよくわからんが、それ以外の部分はよく考えられている。観客がギリギリ受け入れられる形でのコング復活となっているし、人工心臓・輸血・レディコングといった構成要素の展開のさせ方も手際良い。

共同で本作の脚本を書いたのはロナルド・シャセット。ダン・オバノンとのコンビで『エイリアン』(1979年)や『ゾンゲリア』(1981年)を手掛けたジャンル映画の職人であり、当時はラウレンティスの元で『トータル・リコール』の企画を進めているところだった。

なおラウレンティス版『トータル・リコール』は1988年にオーストラリアでセット建造にまで至ったのだが、本作の興行的失敗などが遠因となってラウレンティスのプロダクションが倒産。準備されていたセットも撮影機材もその場に放棄された。

脚本は『ランボー』シリーズの大ヒットで飛ぶ鳥を落とす勢いだったカロルコ・ピクチャーズに買い取られ、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『トータル・リコール』(1990年)として生まれ変わった。シュワはかつてラウレンティスが主演候補から外した俳優だったが、映画は大ヒット。世の中は分からないものだ。

閑話休題

ラウレンティスは前作『キング・コング』(1976年)の公開直後から続編を考えていたものの、コングを再登場させる合理的な手段を思いつかずにいたのだが、そんな中でシャセットが持ち込んだ人工心臓と輸血というアイデアには飛びついた。

ただしレディコングには懐疑的で、「キングコングは50年来のポップカルチャーのアイコンなので観客たちも無条件に受け入れるだろうが、さすがにレディコングは無理あるだろ」と、かなりまともなことを言っていた。さすがは稀代の大プロデューサーである。

ただしシャセットも負けてはいない。「キングコングにだって生みの親はいるだろうし、メスの大猿が居たって何ら不思議ではない」と反論し、レディコング案を通した。一瞬、これが大人の会話かと思ったが、このやりとりで数千万ドルの大金が動くのだからハリウッドはつくづく夢のある世界だ。

なんやかんやありつつも手術は無事成功するが、雌の匂いを嗅ぎつけたコングは大興奮。檻を破ってレディコングと共にジョージア山脈に脱走する。

逃げる大猿カップルと追う米陸軍の攻防戦が後半の目玉となるが、大猿カップルのパートは人間抜きで構築されている。レディコングの気を引こうとするキングコングの仕草などはバカっぽいが、何をしているのか観客に十分通じるレべルになっているのだから大したものだ。

かつ、コング×レディのラブストーリーを補完すべく、堅物の女科学者エイミー(リンダ・ハミルトン)と、インディ・ジョーンズを5倍希釈したような冒険家ハンク(ブライアン・カーウィン)のラブストーリーという相似形のドラマが平行して描かれる構成もゴジ・コンに先駆けている。やはり本作の構成はすごいんじゃないか。

あと、美人の文脈で語られることの少ないリンダ・ハミルトンが、本作では例外的に美しく撮られていることもポイント高い。

そういえばジョン・ギラーミンは前作『シーナ』(1984年)でも女ターザンを美しく描いていたし、女性を魅力的に演出する技術を持った監督だったのだろう。なお、本作がギラーミン最後の劇場用作品となった。

守るものを得たコングと米軍との闘いは熾烈を極めるのだが、飛行機だのヘリだのを相手に戦うことの多いコングにとっては珍しく、戦車や歩兵を相手にしていることも新しかった。

実機を用いたハリウッドらしい大掛かりな撮影と、緻密な作りのミニチュアワークの組み合わせ方も何気によくできているし、エイミーとハンクを除く人間キャラを悪辣に描くことで対立構造をはっきりさせた脚本も怪獣映画としては悪くない。

思い出補正がものすごく入っていることは致し方ないが、私は今でも、というか今見るからこそ楽しめた。

バカ映画という悪評が先行しすぎているうえに、鑑賞手段が限られているので、本作を実際に見たことのある人は少ないと思うけど、もしも鑑賞の機会に恵まれた日には、偏見を持たずなるべく温かい目で見ていただければと思う。

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