【良作】リベンジ(1990年)_猛烈な愛憎劇とバイオレンス(ネタバレあり・感想)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1990年 アメリカ)
中盤こそ合理的な説明のつかない人物の登場や偶然性に頼った展開で危うくなるのですが、全体的には非常にエモーショナルなバイオレンス映画として仕上がっており、初見時より大好きな作品です。

© 1990 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.

あらすじ

退役軍人のコクランは友人にしてメキシコの権力者であるメンデスの元を訪れるが、彼の若い妻を愛してしまう。

プロダクション

企画の紆余曲折

本作の原作は『レジェンド・オブ・フォール』の原作者としても知られるジム・トンプソンの1979年の著作で、その映画化企画はハリウッド界隈で話題となり、ジョン・ヒューストン、シドニー・ポラック、ジョナサン・デミらが関わってきました。80年代半ばにはウォルター・ヒル監督が加わり、ジェフ・ブリッジス主演を希望したもののブリッジスに断られたので頓挫。そこに現れたのがケビン・コスナーでした。

コスナーは自分で監督できると思ってこの企画に参加したものの、プロデューサーのレイ・スタークに反対されて監督はできませんでした。そのうちにトニー・スコットが監督を希望し、当初は『トップガン』の監督は向かないと考えられたものの、彼自身の猛プッシュで監督が決定したのでした。

中盤の不出来の原因は時間をかけ過ぎたこと?

80年代から企画があって、多くの一流監督の手を通ってきたのに、なぜ中盤があんなに雑なんだろうかと不思議に思ったのですが、時間をかけた仕事ほど重要な不備が見落とされがちになるのかもしれません。かつて、『ミッション:インポッシブル』の出来とプロデューサーのトム・クルーズの完璧主義について聞かれたブライアン・デ・パルマが、興味深いことを答えています。

(トム・クルーズは脚本に細かく目を通したのかという質問に対して)

「そのとおり。彼はそういう人間だ。でも、映画の細部に入り込んで何回も何回も見ていると、居間の中央にでんと立っているピンクの巨象も目に入らなくなるものなんだ。試写の時には、ストーリーが分かりにくいなんて誰も思わなかった」


プレミア日本版 1999年3月号

恐らく本作もこんな感じだったのでしょう。こういう情念の映画は勢いで作り上げるべきだったのに、時間をかけ過ぎたために明らかに行動原理がおかしなキャラクターがいても、誰もそれがおかしいとは思わなくなったのでしょう。

感想

猛烈な愛憎劇

ヤクザの親分の若妻を寝取るという世界一バカなことをやってしまった男がドエライ目に遭わされるというあらすじだけを見ると、間男の自業自得の話と思えなくもありません。実際、業界関係者からの長年の期待の一方で壊滅的だった興行成績を見ると(トータル1500万ドルで同年公開作品中78位)、大多数の観客には物語の本質が理解されなかったのかなと思います。

ただし、破滅が分かっていても燃え上がる感情を抑えきれない愛の物語として作られているので、私の目には素晴らしくエモーショナルな愛憎劇として映りました。

コクラン(ケヴィン・コスナー)

親友、しかもヤクザの親分であるメンデスの妻を寝取るとどうなるのかは分かっており、アメリカの友人の忠告に従ってギリギリまで帰国しようとしていました。

しかし、愛するミリアからの懇願でその場を去れなくなり、この数日と引き換えに身を滅ぼす覚悟を決めて、その愛を受け取ることにしました。

メンデス側から見れば裏切り行為なのかもしれませんが、ミリア側から見れば、彼の行動は究極の自己犠牲のようにも思えます。

ミリア(マデリーン・ストウ)

若く周囲の目を引くほど美人であるミリアと初老のメンデスの夫婦は明らかに異様。加藤茶夫婦を初めて見た時のような強烈な違和感があったのですが、金や権力目当てや政略結婚といった外野からの憶測とは裏腹に、ミリアはメンデスを一人の男としてちゃんと愛していました。

彼女がメンデスに不満を持った直接のきっかけは、夫との子供を持ちたがるミリアに対してメンデスがノーと言ったことであり、彼女がメンデスを裏切ったこと、メンデスとは正反対のタイプであるコクランに惹かれたことには、きちんと理解ができました。

メンデス(アンソニー・クイン)

父親の年齢である自分とミリアが不釣り合いな夫婦であるという認識を持っており、また若く魅力的なミリアとコクランが惹かれ合うことは当然だという感覚も持っているようです。

だから二人を憎む気持ちは薄いのですが、他方でメキシコという土地でならず者の頂点に立つ彼にとってはメンツを守ることも重要であり、自分のメンツを潰したコクランとミリアを黙って放置しておくという選択肢はありませんでした。

運命の前日、彼はコクランとミリアの両方に対し、逢瀬に至らないよう別の選択肢を提示します。彼ははっきりと警告できないんですよ。知っているのに見過ごしていたということになるから。

だから遠回しではあるのですが、「これ以上行くと俺は愛する君たちを許しておけなくなるから、頼むから俺の提案に乗って何事もなく済ませてくれ」という願いの下で最後の提案をします。

ここでのメンデスの苦しい心境は本編中最大の見せ場とも言えるし、アンソニー・クインとトニー・スコットは見事にその瞬間を表現できています。

地獄のようなバイオレンス

ついに一線を越えたコクランとミリアに制裁を加えるメンデス。ここからバイオレンスが急加速します。

コクランに振るわれる容赦のない暴力。それまでトニー・スコットやケビン・コスナーが関わってきた一連の娯楽作における記号のような暴力とは明らかに異質な生々しさがあり、美しいコスナーの顔面がみるみる破壊されていきます。

ミリアはナイフで顔を切り裂かれ、街の最低レベルの娼館に落とされます。しかも山小屋から街への移動の最中には服も着せられておらず、裸のまま放り込まれるという容赦のなさ。まさか『トップガン』や『ビバリーヒルズ・コップ2』の監督がこんなとんでもない暴力映画を撮るとは誰も思っていなかったことでしょう。

なお、当時は概ね不評だった本作の激しい暴力に魅了されたのがクエンティン・タランティーノでした。彼が脚本を書いた『トゥルー・ロマンス』は当初『地獄のマッドコップ』のウィリアム・ラスティグが監督する予定で動いていたのですが、本作を見たタランティーノは監督にトニー・スコットを指名しました。

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後半は雑になっていく

もう助からないと思われた深手から奇跡的に回復したコクランは、ミリアを探し始めます。『リベンジ』というタイトルとは裏腹に、彼に復讐心はありません。メンデスからどうされるのかは分かった上で、ミリアとの最後の逢瀬に臨んだのだから。

しかし、映画は次第にミリアの救出とメンデスへの復讐がごっちゃになっていき、それまで丁寧に積み重ねられてきた愛憎劇が台無しにされていきます。致命的だったのはミゲル・フェラー扮するアマドールと、ジョン・レグイザモ扮するイグナチオという助っ人が加わったことで、この二人は身内を殺された恨みからメンデスの首を取りにきており、そもそもコクランとは目的が共通していません。しかし常に3人が揃って行動することから、戦いの最終目的がボヤけてくるのです。

加えて、たまたま入ったバーにメンデスの手下がいたという超ご都合主義的な展開が二度もあり、点と点を線で結びながらミリアに近づいていくというこのパートで本来やるべきことがいい加減に片付けられていくことも残念でした。

※ここからネタバレします。

美しいラストで取り戻している

ただし、再び愛憎劇に戻るラストで取り戻してくれます。

ミリアへの線が完全に途切れてしまい、メンデスに居場所を聞く以外に手段がなくなったコクランは再度メンデスと対峙するのですが、この時の両者は敵と会った顔をしていません。二人にあるのは、友人に対してやり過ぎてしまったという後悔と、でも引くに引けなかったという男の意地のみ。

メンデスはコクランに殺されることは分かっており、また殺されて仕方のない状況だということは飲み込んだ上で、「妻を奪ったことを謝り、許しを請うのだ」とコクランに最後の要求をします。同じ女を愛してしまった者同士の決着がここで静かに付けられるのです。

ようやく見つけ出したミリアは重病に罹り(おそらくエイズ)意識不明の状態で、コクランの腕の中で一瞬だけ意識を取り戻して穏やかに息を引き取ります。このとんでもない暴力映画をトニー・スコットは女性映画であると言っていましたが、確かにこの悲しくも美しい結末はラブストーリーだったと思います。

ディレクターズ・カット版について

撮影中、トニー・スコットとレイ・スタークはほぼ毎日のように口論していました。その理由は大きく2点で、一つ目は性的描写があまりに露骨だったこと。二つ目は、大衆向けに噛み砕きづらいテーマをどう扱うのかで意見の相違が発生したことでした。

トニー・スコットは結論を曖昧にし、アーティスティックな映像で説明しようとしていたのですが、多くの場合、そうした切り口は観客にとって不親切で映像作家による過剰な自己主張のように見えてしまうことから、観客受けを狙おうとしていたレイ・スタークは大反対でした。結局、劇場版はスタークの主張通りにまとめられました。

2007年にアメリカでディレクターズ・カット版がリリースされたのですが、フッテージの追加で長くなることの多いディレクターズ・カット版としては例外的に、20分も尺が詰められています。スコットは説明的な描写を削除し、早い段階で本論へと持っていきたかったためです。他方で性描写や暴力描写が強化されており、「アンレイテッド版」とも呼ばれています。

このバージョンの日本でのリリースはないのですが、ブライアン・ヘルゲランドの『ペイバック』と並び映画の切り口が大幅に変わってしまったディレクターズ・カット版として、早期のリリースを希望します。

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