【良作】エンゼル・ハート_ミッキー・ロークがかっこいい(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1987年 アメリカ)
40年代ノワール風の作風にオカルトを組み合わせた珍しい作品なのですが、全編がクールなタッチでまとめられており、驚くほどよく出来ています。主演のミッキー・ロークもなかなかハードボイルドで、その良質な雰囲気も見どころとなっています。

作品解説

小説『堕ちる天使』の映画化

本作の原作はウィリアム・ヒョーツバーグ著の小説『堕ちる天使』(1978年)。

最初にその映画化権を購入したのは『ゴッドファーザー』(1973年)などで知られる大物プロデューサー ロバート・エヴァンスで、彼はパラマウントで製作するつもりでした。

原作者自身が脚色を行い、ジョン・フランケンハイマー、ディック・リチャーズらが監督として起用されたものの、製作には至らずパラマウントは権利を喪失。

その後、ヒョーツバーグはロバート・レッドフォードと共に映画化作業を進めていたのですが、バッドエンディングが災いしてか、出資する映画会社がなかなか現れませんでした。

そんな中、『動く標的』(1966年)や『荒鷲の要塞』(1968年)のプロデューサー エリオット・カストナーが『ミッドナイト・エクスプレス』(1978年)のアラン・パーカー監督にこの企画を持ち込み、自分で脚本を書いていいのならという条件の下、パーカーは監督を引き受けました。

パーカーによる脚色の結果、ほとんどのセリフは映画独自のものとなり、原作ではNYのみが舞台でしたが、映画の後半部分の舞台はニューオーリンズとなりました。

また原作の年代設定は1959年でしたが、公民権運動など変革の時代である1960年代に近い年代は相応しくないと判断したパーカーによって、1940年代の保守的な雰囲気を色濃く残す1955年に改められました。

こうした全面改定に伴いタイトルも”Falling Angel”から”Angel Heart”に変更。

執筆が終わった脚本は当時破竹の進撃をしていた独立系スタジオ カロルコに持ち込まれ、彼らが製作費を出資することに決まりました。

激しい性描写に抗議殺到

かくして完成した作品は、メディアによる酷評と大バッシングを受けました。槍玉にあげられたのはミッキー・ロークとリサ・ボネットの激しいラブシーン。

リサ・ボネットは本作が映画初出演でしたが、テレビ界では80年代に人気だったシットコム『コスビー・ショー』のレギュラー出演者としての知名度がありました。

シットコムとはシチュエーションコメディの略で、『フルハウス』や『フレンズ』がその代表格なのですが、大衆向けの明るい内容で、客席の笑い声という演出が入るのがその特徴。

そんなシットコムに出る子役というイメージの強かった撮影当時18歳のボネットに、激しいベッドシーンを演じさせたものだから、見た人はビックリしちゃったわけです。

今の日本で言うと、本田望結に山田孝之との激しいカラミをさせるようなものですね。「望結ちゃんになんてことさせるんだ!」となるのは目に見えてます。

なお、イギリス人のアラン・パーカー監督はボネットのことに詳しくなくて、ただ演技テストの結果が良かったから採用しただけであり、想定外のところからツッコミが入ったという形となりました。

『リーサル・ウェポン』と同日公開で爆死

本作は1987年3月6日に全米公開されましたが、初登場4位と低迷。大人向けのダークな娯楽作として、同日に『リーサル・ウェポン』(1987年)も公開されており、完全にそちらに客足を奪われた形になりました。

その後も売上は下降の一方で、5週目にしてトップ10圏外へと弾き出され、全米トータルグロスは1718万ドルに終わりました。

そんな本国での苦戦を反映してか、日本では『プレデター』(1987年)との二本立てというわがままかつ贅沢な興行もあった模様。見られた人、うらやましい!

感想

ミッキー・ロークが良すぎる

私立探偵のハリー・エンゼル(ミッキー・ローク)が、ルイ・サイファー(ロバート・デ・ニーロ)という男から、行方をくらましたジョニー・フェイバリットという歌手の捜索依頼を受けることが本作のあらすじ。

「ルイ・サイファー=ルシファー」であることは観客の目からは明らか。

そしてジョニーって奴は悪魔との契約から逃れようとしているという図式も、おぼろげながら見えてきます。

で、この主人公ハリーですが、探偵としては二流で「大きな案件は扱えない」と自ら宣言するほど。調査中に格闘になっても劣勢に陥ることが多く、また銃の携帯許可こそ持っているもののこれをぶっ放すことはなく、一般的な探偵もののヒーロー像とは随分と趣が異なります。

そんな中でも強みと言えば女性を対象とした情報の引き出し方が得意なことなのですが、女たらしが唯一の武器というハリー役にミッキー・ロークがよくはまっていますね。この頃のロークは異常な色気ですから。

また、ボサボサ頭に無精ひげ、よれよれのスーツ姿のミッキー・ロークがやたらカッコいいのもポイントです。このスタイルって『セブン』(1995年)のブラッド・ピットにそっくり真似されていましたが、健全なブラピにはない裏ぶれ感がロークの強みでした。

自分についてはっきりとは語らないものの、何か諦めきって生きているような、そんなハリーの人生観が透けて見えてくるわけです。

ちなみに、ハリー・エンゼル役を最初にオファーされていたのはロバート・デ・ニーロだったのですが、デ・ニーロは悪魔役の方がいいと言ってそちらを選択。

その後にジャック・ニコルソンにハリー役がオファーされており、もし実現していればニコルソンvsデ・ニーロという凄いことになった可能性もあったのですが、ニコルソンも悪魔役がいいと言ったようです。

で、ミッキー・ロークにお鉢が回って来たのですが、この頃のロークは演技に対する情熱を失っており、良いギャラをもらえそうだという一念でOKしたようです。Blu-rayのインタビューでローク自らそう言っていました。

話も面白いとは感じていなかったが、アラン・パーカーと仕事ができるならいいやという投げやりな姿勢であり、役作りもせずただセリフを覚えて喋るだけというスタンスで臨んだとか。

それでもこれだけのパフォーマンスを披露するのだから、ロークというのは凄い役者だなと思います。

この後、本格的に演技へのやる気を失い、一時的にプロボクサーに転向するなど迷走するのですが、真面目にキャリアを積んでいれば一端の名優になれたかもしれませんね。

意味深な映像に魅了される

カラー作品ではあるものの、アラン・パーカーはモノクロ作品のつもりで作り上げており、光と影のコントラストが強調された画調に全編が貫かれています。

その画調が40年代のノワールのようで、とにかくクールでかっこいいこと。

また繰り返し提示されるイメージも象徴的であり、回転するファンはこれが輪廻の物語であることを、下降するエレベーターは主人公が追い詰められてどん底にまで落ちていくことを暗示しており、映像によってイヤーな感じが作られています。

また明るいニューオーリンズに舞台が移ってからは、高温多湿な雰囲気が目にも伝わってくるのですが、そんな中でもマジックアワーを利用して自然を撮影するなど、要所要所で「お!」っと思わせるビジュアルが炸裂します。

撮影を担当したマイケル・セレシンはアラン・パーカーとのコラボで有名な撮影監督なのですが、後には『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004年)や『猿の惑星:新世紀』(2014年)などの大作も手掛ける腕利きであり、本作では多彩な撮影技術で作品を彩っています。

オチは衝撃的 ※ネタバレあり

そしてオチはというと、ハリーこそがジョニー当人だったというものでした。

ジョニーは悪魔の契約から逃れるためにブードゥーや黒魔術といった異教徒を頼り、儀式の末にハリー・エンゼルという別人と入れ替わっていたのだが、戦争で重傷を負ってその記憶を失っていた。

で、黒魔術師のマーガレット(シャーロット・ランプリング)は医師を買収してジョニーを退院させ、ハリー・エンゼルという社会的立場に据えたものだから、彼はすっかり自分をハリーだと思い込んでいた。

が、そんな小細工はルシファーにはお見通しであり、依頼と称してハリーに自分の足跡を辿らせ、究極の罰ゲームを与えたわけです。

それは実の子を相姦した上に殺害するという、自分自身が死ぬよりもずっと辛いことでした。

“本人オチ”の映画というのは結構ありますが、そこに留まらず、悪魔に弄ばれた末に、とんでもないことをやらされていたという絶望感が本作を並みのサスペンスとは違うものにしています。

『ミスト』(2007年)の、「死んだほうがまだマシだった!」という叫哭に近い感じですね。

しかもハリーの孫はバッチリと悪魔の目をしており、ルシファーからすればこの世に邪悪なものを生み落とすという別の目的も達成できたという。

ハリーの完敗とルシファーの大勝ち、これは衝撃的でした。

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コメント

  1. ランプリング・ローズ より:

    プレデターとの2本立てで観ました。
    当時はイヤーオブザドラゴンやランブルフィッシュでミッキーのファンだったので、映画の前に原作読んでから挑みました。
    日曜朝イチの回に入ったら三つあるうちの一番小さな会場で観客は私だけ。
    上映時間になったらブザーも鳴らずに静かに電気が消えてドアが閉まって、
    広告や予告もなしに始まったのが映画の雰囲気と相まってかなり怖かったです。
    映画が終わって電気がついたらいつの間にか観客増えていたのも恐怖!
    今でこそカルト的人気があるようですが、当時なんで興行成績悪かったのかさっぱり謎でしたね~

    • b-movie より:

      その2本立てを見られた方、本当に羨ましいです。
      映画館での鑑賞体験は貴重ですよね