【傑作】ジェイコブス・ラダー(1990年)_恐ろしくも美しく感動的(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1990年 アメリカ)
中学時代に見て衝撃を受けた作品だが、何度見ても凄い。鮮烈なビジュアルイメージの応酬と、ジャンルの垣根を平然と飛び越えるダイナミックな物語。しかし最後に明らかになるのは実にパーソナルなドラマであり、ホラーなのに感動的な結末が待っている。

作品解説

製作に10年を要した名脚本

本作の脚本を書いたブルース・ジョエル・ルービンは、『デッドリー・フレンド』(1986年)、『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年)、『マイ・ライフ』(1993年)など、人が死ぬ話ばかりを作っている。

ユダヤ人でありながらチベット仏教の信者で、趣味は瞑想という変わった人らしい。

1980年に本作の脚本を執筆したルービンと彼のエージェントは、早速映画会社への売り込みを開始した。

業界内での評判は上々で、当時のユニバーサル社長トム・マウントがこれに注目し、マイケル・アプテッド、シドニー・ルメット、リドリー・スコットら、著名な監督たちも興味を示した。

しかし、あまりにも形而上的な内容ゆえに商売になるのかどうかが誰にも読めず、金を出したがるメジャースタジオは現れなかった。

1983年には『プリンセス・ブライド・ストーリー』や『トータル・リコール』と並んで未製作の傑作脚本リストに名を連ねたが、やはりスタジオには売れなかった。

事態が動いたのが1986年で、ルービンが書いた別の脚本『デッドリー・フレンド』(1986年)がウェス・クレイヴン監督の手で映画化されたことが契機となり、パラマウントが『ジェイコブス・ラダー』と『ゴースト/ニューヨークの幻』の脚本を買った。

1988年には、『フラッシュ・ダンス』(1983年)と『危険な情事』(1987年)でパラマウントに膨大な利益をもたらしたエイドリアン・ライン監督の手元に脚本が渡り、ラインは「これまでに読んできた中で最高の脚本の一つ」と評価。

ワーナーからオファーされていた『虚栄のかがり火』(1990年)を断って、本作の監督に就任した。

その後に『虚栄のかがり火』の監督を引き受けたブライアン・デ・パルマは、ブルース・ジョエル・ルービンの映画学校時代の同期で、彼にハリウッド行きを勧めた友人でもあった。

また『虚栄のかがり火』に主演したトム・ハンクスは、本作の主演としても検討されていた。

なのだが、パラマウントの幹部たちは本作の結末を変えるよう言ってきて、ラインとルービンはこれを拒否したことから、パラマウントは製作から手を引いた。

その後に製作を引き継いだのが、当時破竹の進撃をしていた独立系スタジオ カロルコで、彼らはエイドリアン・ライン監督のクリエイティブ面でのコントロールをより強化し、監督にファイナルカットの権限も与えた。

1989年8月から1990年1月にかけて撮影が行われ、1990年11月2日に全米公開。脚本執筆から10年が経過していた。

興行的には失敗した

本作は批評家からの好意的な評価を受け、全米ボックスオフィスで初登場1位を記録。その週の3位は、同じくブルース・ジョエル・ルービンが脚本を書いた『ゴースト/ニューヨークの幻』だった。

しかし翌週から売上高が急減し、全米トータルグロスは2611万ドルにとどまった。

本作の製作を躊躇ったユニバーサルやパラマウントが懸念していた通りの結果になったというわけである。

ただし内容面での充実ぶりから本作は早々にカルト化し、ビデオゲーム『サイレント・ヒル』などに多大な影響を与えた。

また、その後に製作された多くのサイコスリラー(ネタバレになるので具体名は自粛)が、本作の影響下にあるとされている。

感想

初めて物語の醍醐味を感じた映画

本作を見たのは中学生の頃で、地上波深夜枠だったと思う。

…という話がここんとこの記事(『ラスト・アウトロー』『ヤングガン』)で続いていて恐縮なのだが、個人的な経験として、あの頃の地上波映画との接点は大きかった。

両親が趣味人ではなかったため、うちの実家には友人宅のようにレーザーディスクがあったわけでも、親戚宅のようにWOWOWに加入していたわけでもなく、映画との接点は専ら地上波放送だったのである。

しかも私は地方出身なので、平日午後の映画枠を持つテレビ東京というオアシスもなかった。

だから水(TBS)、金(日テレ)、土(フジ)、日(テレ朝)の洋画劇場は必ずチェックしていたし、地元局が金曜と土曜に持っていた深夜映画枠の常連でもあった。

現在のようなサブスクで映画見放題という環境も結構であるが、適度な飢餓感の中、放送されたものは何でも見るという映画ライフも、それはそれで意義があったと思う。

好きなジャンルだけを追っているのでは決して出会えない作品も結構あったので。

本作なんて、中学生が興味を持つような映画ではないからね。

訳の分からんタイトルだがとりあえず見てみようとなり、割かし早い段階でエリザベス・ペーニャのおっぱいが出てきたことで、俄然、目も冴えてきた。

おっぱいも素晴らしかったのだが、何より驚いたのはそのストーリーの巧みさである。物語はどんどん姿を変えつつも、最後には大いなる感動と仰天の結末が待っている。

中坊ながら、本作には完全に魅了された。

シュワルツェネッガースタローンが物を壊す映画ばかり見ていた私が、映画の構成やストーリーというものを意識したのは、本作が初だったと思う。

それほどまでに本作は衝撃的で、映画に対する新しい見方を与えられたのだった。

ジャンルの垣根をすり抜ける

物語はベトナム戦争の場面から始まるのだが、主人公ジェイコブが銃剣で刺されて絶体絶命というところで、NYの地下鉄に場面が移る。

ジェイコブは無事生還したのだろうか?

NYの郵便局員として働くジェイコブは得体のしれないものの幻覚に悩まされるようになっており、『ディアハンター』(1978年)『ランボー』(1982年)のようなベトナム後遺症ものの様相を呈している。

ここで巧みだと思ったのが、ただ幻覚を見るだけではなく、古傷が痛むので整骨院に通っているという身体的ダメージや、まともに働けなくなって良い職に就けなくなったという社会的ダメージも織り込んでいることである。これにより、現実感がぐッと増している。

なのだが、昔の戦友達に会うと、部隊にいた全員が同じ幻覚に悩まされていることを知る。我々は何らかの人体実験に巻き込まれたのではないか?ここから映画は政府の陰謀ものへと変容する。

この転換の鮮やかさには、何度見ても驚かされる。

なのだが、実験による幻覚では説明がつかないほどの強烈な地獄体験が続き、物語はスピリチュアル色を強めていく。

こうして複数のジャンルを横断するものの話がうまく整理されているため闇鍋感はなく、理解は非常にスムーズに進む。物語の外観が二転三転しても根底にあるドラマにはブレがないのだ。

冒頭では降車駅を見失い、駅に閉じ込められ彷徨っていた主人公が、ラストでは我が家に戻り、愛する息子と再会するというアドベンチャーの王道ともいえる物語が縦軸にあって、悪魔の囁きに翻弄されながら天使に導かれるという、こちらも王道的な話が横軸にある。

巧みな変化球ではあるものの(整骨院のオヤジが天使で、献身的な恋人が悪魔だったりする)、これら基本的な軸は非常にしっかりしている。

鮮烈なる悪夢のビジュアル

脚本家のブルース・ジョエル・ルーベンが念頭に置いていたのは、中世の宗教絵画に出てくるような悪魔のイメージで、そうしたものを20世紀に登場させることがの当初の見せ場だった。

しかしエイドリアン・ラインは「そんなのは物笑いの種になる」として、観客が観たことのないイメージを提示すべきと考えた。また完全に人間ではないものではなく、部分的に人間であるものの方がより恐ろしいとも考えた。

そこで、看護師の帽子が落ちると角を切り取ったような跡があったり、ホームレスの下半身からしっぽのようなものが生えていたりといったイメージで全体を構築。その具体化にあたっては撮影後の合成などを行わず、特殊効果はすべて撮影段階で取り込んだ。

かなり特殊で難しい方法をとったわけだが、その効果には絶大なものがあって、異形の者達の生々しさや実在性には真に迫るものがあった。

この通り、ライン監督のビジョンはキレッキレだったのだが、その真骨頂とも言えるのがジェイコブが運び込まれる病院のイメージである。

地の底に降りていくような廃墟の廊下を通り抜けると、そこには肉片が散乱し、畸形の者達が蠢く異様な光景が広がっていた。

この場面の視覚的インパクトには絶大なものがあった。巨大な羽や角を持つ悪魔なんぞよりも遥かに恐ろしい。文字通り地獄絵図である。

地上波で見た時にはカットされていたように記憶している。いくら規制のユルい時代とは言え、ここまで刺激の強いものはさすがに放送できないからね。

ちなみに、この病院の後にもショッキングな展開はいくつもあったのだが、ジェイコブにあまりにも悪いことが起こりすぎるために試写の観客が凍り付いてしまったことから、エイドリアン・ラインは終盤を20分ほど短くしている。

カットされた場面はBlu-rayに収録されているのだが、かなり手間ひまがかかったであろう場面もあるので、ぜひともご覧になっていただきたい。

ヤコブの梯子 ※ネタバレあり

病院からジェイコブを救い出した整骨師の親父は言う。

「死に怯えながら生き長らえると悪魔に命を奪われる。でも冷静に死を受け止めれば、悪魔は天使となり人間を地上から解放する。要するに心の準備の問題だ」

これこそが本作のテーマであり、翻弄されるジェイコブにとっての啓示となる。

本作で起こってきたことは、死に抗うジェイコブの心の物語だったのだ。

愛する人々に執着し、やり残したことを悔い、向かってくる闇の力に反発する。馴染んだものから離れたくないという思いが、彼に地獄のような体験をさせていたのである。

かつて家族と過ごしたマンションに戻ったジェイコブは、交通事故で亡くした息子と再会し、天国への階段を上っていく。

ジェイコブス・ラダーとは旧約聖書のヤコブの梯子のことであり、それは天使が上り下りしている、天から地まで至る梯子を指す。

先に天国へ行った息子と再会したジェイコブは、ようやく自分の死を受け入れ、現世を去ることを受け入れるのである。

大風呂敷を広げた末に待っていたのは、天国への階段は我が家にあり、家庭に背を向けて愛人と同居していたのは悪魔の誘惑だったという普遍的なドラマであり、多くの人々が納得できる帰結だった。

最終的に平凡な人生の物語につなげた構成も見事だったと思う。

Blu-rayのドキュメンタリーによると、監督の元にはエイズ協会からも反応があったらしい。死を目前にした人々の役に立っている作品であると。

それほどまでに、本作には多くの人の心をつかむ本源的な感動があるのである。

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