(1990年 アメリカ)
快活な前作からは一転して、ダークな滅びの物語となったが、これはこれで面白かった。組織の実力や目標をはき違えたリーダーがどんどんおかしくなっていく物語でもあり、前作に引き続いて、リーダーシップ論としての見応えもある。

感想
前作と繋がった物語
世の中には、前作がヒットしたからという理由で無理矢理に製作される続編も多いが、本作の場合はそれらとは根本的に違う。
前作クライマックスの包囲戦を生き延びたビリー・ザ・キッド達のその後の物語であり、二部作の前後編という趣がある。こうした自然な流れがあるため、すぐに物語に入り込むことができた。
ただし作風は一変している。
若いカウボーイ達がワイワイやる軽いノリだった前作とは打って変わって、本格的に追い込まれたビリー達が滅びの道をひた走る、やたらダークなタッチとなっているのである。
『ゴッドファーザー』と『ゴッドファーザーPART2』のような関係と言えるだろうか。
前作ではヒーロー的な立ち位置にいた主人公が、今回は失敗し、孤立し、ヒール的な立ち位置に転じていく。
その転落の物語が70年代の映画のようでもあり、いかにも80年代的な作風だった前作とのコントラストも利いていて、結構胸に刺さった。
前作も良かったが、本作も別の良い味を出している。なかなかよく出来たシリーズである。
メンバーの質低下を認識しないリーダー
堅気の道を生きるドク(キーファー・サザーランド)、チャベス(ルー・ダイアモンド・フィリップス)とは対照的に、ビリー(エミリオ・エステベス)は新しい仲間達と相変わらず悪事を働いている。
ただしイキのいい兄ちゃんが揃っていた前作のレギュレーターズと比較すると、今回のメンバーの質は明らかに低下している。
- デイヴ・ルダボウ(クリスチャン・スレーター):ビリーから勘の良さとカリスマ性を取り除いた、ただただ生意気で乱暴なだけの男
- ヘンドリー(アラン・ラック):資産家に仕返しをしたいだけの貧農
- トム(バルサザール・ゲティ):ビリーに憧れる孤児
もうガタガタである。まともな戦力だと言えるのはパット・ギャレット(ウィリアム・ピーターセン)だけだったが、カタギの商売をやりたいと言い出して抜けてしまった。
途中で、昔の仲間のドクとチャベスも合流するのだが、彼らは彼らで戦意らしきものは残っておらず、ただただ追跡隊から逃げたいと思っているだけである。
そんなわけで、実力と意欲のどちらかが欠けたメンバーの寄せ集めになってしまい、グループの質ははっきりと低下しているのであるが、リーダーのビリーだけは依然としてやる気満々で、昔の勢いで関係各所に喧嘩を売って回る。
典型的な周りを見ていない経営者であり、無理をさせれば部下は付いてこられると思っているタイプでもある。
しかし実力とは突然に湧いてくるものでもないので、リーダーのビジョンと組織のポテンシャルの齟齬は、深刻な形で露呈し始める。
個人の願望と組織の目標をごっちゃにしたリーダー
さらに始末が悪いことに、ビリーは個人の願望と組織の目標をごっちゃにし始める。
みんなの願いは無事にメキシコにまで逃げ延びることなのに、ビリーだけは名うてのアウトローとして生きたいという個人の夢を追い続けている。
目の前の経営課題が解決してから自分の夢を追うのならいいのだが、ビリーは自分のやりたいことに組織を巻き込むようになる。
かねてから付き合いのあった権力者ジョン・チザム(ジェームス・コバーン)には些細な理由から喧嘩を売り、かつての友人であるパット・ギャレットが追跡隊になったと分かれば、やはり放っとけないという態度をとる。
メンバー達からすれば「もうやめてくれないかな」という感じなのだが、ビリーは止まらない。
そうこうしているうちにメンバーがバタバタと倒れ始めるのだが、取り返しのつかないことをしたと気付いた頃には、時すでに遅し。ビリーは大事な仲間の命も、自分への信用も失う。
今回のビリーは、自分だけのレガシーを作りたくてキューバ事業に手を出したマイケル・コルレオーネのような状態となっていくのである。
この滅びの物語は、定番ながらもよく出来ていた。どんどん追い込まれていくビリーの物語には胸が痛くなった。
ちなみに、史実によるとドクはこの戦いも生き延びて天寿を全うしたらしいのだが、キーファー・サザーランドのスケジュールの都合上、映画では殺さざるをえなくなったらしい。
ただしドクが死亡する場面は男泣き必死の名場面だったので、史実通りではないにせよ、これはこれでよかったと思う。
読めないライバル パット・ギャレット ※ネタバレあり
そんなドラマでキーパーソンと言えるのが、ビリーの元友人にして、後にその追跡隊のリーダーとなるパット・ギャレットである。
『ワイルドバンチ』(1968年)のソーントン的ポジションであるが、無理強いをされたわけでもないという点が異なっている。
そういえばジョフ・マーフィ監督の次回作『ラスト・アウトロー』(1993年)のミッキー・ロークも、同様のポジションでしたな。
ただし本作のギャレットは、どういう心境で元友人のビリーを追いかけているのかが終盤になるまで判然としない。
この曖昧なキャラを演じるのは『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985年)、『刑事グラハム/凍り付いた欲望』(1986年)でお馴染みのバイオレンス野郎ウィリアム・ピーターセン。
ウィリアム・フリードキンやマイケル・マンの映画で主演を務めてきた人物だけあって、複雑な内面を持つ人物を飄々と演じており、ビリーに対しても観客に対してもその腹を読ませない。それは見事な演技だったと思う。
で、最後の最後に判明するギャレットの真意も、興味深いものだった。
ギャレットには今でもビリーに対する友情や思い入れはあって、本気でビリーを捕まえようという気などなかった。
とはいえビリー追跡は知事の肝いりで世間の関心事でもあり、これに大きく貢献したとなれば今後のキャリアの箔付けにもなるから、引き受けない手もなかった。
だから「うまいこと逃げてくれないかな」と思いながらビリーを追いかけており、本当に追い込んでしまった時には狙撃を外すなどして、ビリーに手加減をしていたのである。
悪鬼の如く暴れ回っていたかに見えたビリーだが、実はギャレットの手抜きに助けられていた面もあったという点が興味深かったし、真相を知ったビリーにとっては、自信を失うきっかけにもなったのではないかと思う。
リーダー失格で仲間を大勢失った上に、ライバルにまで手加減されていたのだから。
こうしたギャレットとビリーの関係性も良かったし、最後の最後でドーンと落とす構成もよくできていた。
前作のような直感的な面白さは薄れたが、見れば見るほど味の出る良作である。