【良作】ヤングガン_リーダーはアブないやつ(ネタバレあり・感想・解説)

その他
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(1988年 アメリカ)
男臭い西部にアイドル俳優を大量投下した異色作だが、最後まで安定して面白い。伝統と革新のバランスの取り方が絶妙だったし、リーダーの資質のようなものも描き込まれており、組織論としての切り口も鋭い。ポップに見えて、実はよく作り込まれた映画だと思う。

作品解説

モーガンクリーク第一回作品

80年代から90年代の映画に詳しい方なら、このロゴに見覚えがあるのではないだろうか。

これは映画製作会社モーガン・クリーク・プロダクションズのコーポレートマークであり、同社は『メジャーリーグ』(1989年)、『ロビンフッド』(1991年)、『ラスト・オブ・モヒカン』(1992年)、『トゥルー・ロマンス』(1993年)などのヒット作、人気作を手掛けている。

また『エクソシスト』の映画権を保有しているのもこの会社であり、現在はブラムハウスと共にそのリメイク版製作に取り組んでいるらしい。

そんな由緒正しき製作会社であるが、その第一回作品が本作『ヤングガン』であり、同社の創業者にして、後にウォルト・ディズニー・スタジオの会長にも就任することとなるジョー・ロスが直接製作も手掛けた。

ただし問題だったのは、本作製作当時はユナイテッドアーティスツを倒産にまで追い込んだ『天国の門』(1980年)の余波が続いていたことで、ハリウッドでは西部劇に資金が集まりづらい状況があった。

ジョー・ロスの実績を持ってしても600万ドルの製作費をかき集めることは困難を極めたのだが、そんな中でも第一回作品として西部劇を選択したことに、本作への期待と思い入れが感じられる。

当時のアイドル俳優出演

ヤングガンというタイトルの通り、若者を主人公にした異色ウエスタンであるが、そのキャストには当時人気のあったアイドル俳優が集められた。

  • エミリオ・エステベス/ビリー・ザ・キッド
  • キーファー・サザーランド/ドク・スカーロック
  • ルー・ダイアモンド・フィリップス/チャベス
  • チャーリー・シーン/ディック・ブリュワー
  • ダーモット・マローニー/スティーヴ
  • トム・クルーズ/カメオ出演

当初、ビリー・ザ・キッド役はショーン・ペン、ディック・ブリュワー役はパトリック・スウェイジにオファーされていたのだが、ペンは法的手続の問題で出演ができず、スウェイジからは普通に断られて、エミリオ&チャーリー兄弟に決定した。

製作時点で一番のビッグネームはチャーリー・シーンだったが、彼は馬に乗るのが下手すぎたため、早々に退場させられたらしい。

リンカーン群戦争がモチーフ

本作はニューメキシコ準州で起こった実際の事件「リンカーン群戦争」(1877-1878年)をモチーフとしている。

ただし「戦争」とは随分と誇張した表現であり、それは国と国との衝突ではなく、民間派閥同士のいざこざが政治や軍隊をも巻き込む形になったという話だったが。

映画ではジャック・パランスが演じるアイルランド系の商人マーフィは、暴力行為を伴いつつ地域の商取引を仕切っており、地元の政治家や法執行機関とも癒着していた。

それに対し、映画ではテレンス・スタンプが演じるイングランド系の牧場主タンストールが、マーフィの商店の真向かいに店を構えて商売を始めた。

映画でのタンストールはナイスミドルという風情だが、実際には事件当時24歳で、この戦争に関与した人物の中でも特に若かったらしい。

タンストールの配下にもレギュレーターズと呼ばれる暴力団があって、その中には後に有名となる無法者ビリー・ザ・キッドも含まれていた。

で、タンストールがマーフィの手下に殺害されたことをきっかけに、双方の暴力団が血生臭い抗争を開始したというのがこの「戦争」の概略であるが、レギュレーターズが一時的に法執行機関の代理人権限を得たり、騎兵隊や合衆国政府の部隊が動員されたりと、まぁ滅茶苦茶だった。

最後は映画のクライマックスでもある籠城戦となり、タンストール側のレギュレーターズが散り散りになって敗走する形で終結。

タンストールの年齢設定など映画版はかなり脚色されているのだが、時代考証には拘っているらしい。歴史研究家のポール・ハットンからは、これまでのビリー・ザ・キッドの映画の中ではもっとも正確であると評価された。

全米No.1ヒット作

本作は1988年8月12日に全米公開され、前週1位のトム・クルーズ主演『カクテル』(1988年)、5週目に入った『ダイ・ハード』(1988年)をおさえて、初登場1位を獲得。

翌週はレニー・ハーリン監督の『エルム街の悪夢4』に敗れたが、依然として売上高は好調であり、全米トータルグロスは4566万ドルというスマッシュヒットとなった。

感想

昔、ゴールデン洋画劇場でやってましたな

本作は映画好きの間では結構な人気作であるが、話してみると大半の人はゴールデン洋画劇場で遭遇している。

私自身もその口であり、子供の頃に地上波で見て面白かった映画の一つという括りとなっている。

当時のアイドル俳優を出演させた見た目のキャッチーさ、深刻すぎない作劇、エグ過ぎないバイオレンス、ギリギリで悲劇を回避したクライマックスなど、実に地上波向けの作風で見やすかったのである。

そして解説の高島忠夫の息子である高嶋政伸がビリー・ザ・キッド役の吹替を務めたのだが、珍しくタレント吹替の出来も悪くなかった。

ゴールデン洋画劇場はタレント吹替を好む傾向が強かったのだが、織田裕二&三宅裕司の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や妻夫木聡&竹内結子の『タイタニック』など、いまだ語り継がれる珍品も多い。

そんな中で本作の高嶋政伸は健闘していて、プロの声優と比較すると多少の違和感こそあれど、タレント特有の味のある声と演技で、ビリー・ザ・キッドの不安定な個性をうまく表現できているのである。

もしも普通の声優が吹替をしていればここまで記憶に残らなかったんじゃないかというほど、彼の演技には味があって良かった。

で、本作はしょっちゅう放送されていたという印象だったのだが、改めて調べてみると1991年6月1日の一回こっきりで、少なくともゴールデン洋画劇場内でのリピートはなかったようだ。

たった一度の放送でこれだけ多くのファンを作ったというのも、また凄いことである。

Blu-rayであの吹替が復活!

そんな思い出のゴールデン洋画劇場版吹替がキングレコードのBlu-rayに収録されているということで、これは欲しいと思っていたのだが、それを巡ってちょっとした事件があった。

昨年夏にキングレコード製のBlu-rayを何枚も購入したことから、恒例のキャンペーン「死ぬまでにこれは観ろ!」で2枚もらえる権利が発生しており、私は迷わず『ヤングガン』と『ヤングガン2』を希望した。

そして待つこと数か月、ようやくキングレコードからブツが届いたのだが、入っていたのは身に覚えのない映画だった(『消された女』と『サイコマニア』。しかも両方Blu-rayではなくDVD)。

確かにキャンペーンでは「在庫状況次第ではご希望に添えない場合もございます」との注意書きはあったが、さすがにこれは殺生だぜということでキャンペーン事務局にメールをしたところ、盛大に誤発送をしておりました、ごめんなさいとの返事があった。

こちらが恐縮するほどの丁寧な謝罪文だが、そんな中に「死ぬまでにこれは観ろ!」という文言が入っているのがシュールで面白い。

タダでいただけるものなのでこちらとしては怒る気持ちなど微塵もなく、どんな形であれ希望の『ヤングガン』が届いてくれれば、それでいいのである。

そして数週間後に正しいブツが届き、フルHDの高画質で往年の地上波吹替を堪能できるという至福をようやく味わうことができた。

相変わらずカッコいい映画だ

冒頭、セピア色の画面でヤングガン達が映し出され、一人ずつのアップと共にクレジットが出る。

背後では80年代らしいロックギターが奏でる音楽が流れているのだが、曲調自体は50年代から60年代にかけての西部劇のテーマをなぞらえたものであり、往年のテーマを今風にアレンジしましたという音楽となっている。

この時点でセンスの塊、あまりのカッコよさに失禁しそうになった。

当初、本作の音楽には『コマンドー』(1985年)『エイリアン2』(1986年)のジェームズ・ホーナーが雇われていた。

クリストファー・ケイン監督とホーナーは『エメラルド・レジェンド 少年とイルカの愛の伝説』(1986年)でも組んでおり、その流れでの起用だと思われるが、後の『ブレイブハート』(1995年)や『タイタニック』(1997年)を見ても明らかなとおり、民族的な曲調を好むホーナーは、本作の音楽もアイリッシュ風に仕上げていた。

しかし「これじゃない」と感じた監督はホーナーの曲をボツにして、『ウォー・ゲーム』(1983年)のアンソニー・マリネリとライアン・バンクスを雇って音楽をやり直した。

その成果がこの冒頭である。監督の判断を全面的に支持したい。

本編においても、現代風のアイドル俳優達に西部劇を演じさせるという異色の組み合わせをうまくこなせており、伝統に忠実なのだが革新的という新食感宣言を打ち出せている。

また作劇面でのバランスも絶妙で、軽いノリが行きすぎそうになると湿っぽい話が入ってくるし、湿っぽくなり過ぎそうになると若者特有のノリが戻ってくる。どちらにも振れ過ぎないよう、常に抑制が効いている。

全般的におしゃれでかっこいい映画という印象である。

ビリー・ザ・キッドがアブナイけど魅力的

そして、エミリオ・エステベス扮する主人公ビリー・ザ・キッドのキャラクターが、これまた絶妙なのである。

基本的には場を引っ掻き回すアブナイ奴である。こいつがいなけりゃ、ここまで事態が悪化しなかったのではないかと思う程だが、観客に嫌悪感を抱かせるかどうかのギリギリのところで踏みとどまっており、主人公としての魅力はちゃんと維持されている。

冒頭、ビリーは不良少年の保護者役であるタンストールの元に引き取られ、歳も若いので当初は下っ端扱いを受けている。

しかしタンストールが殺されるという緊急事態において、気が付けばリーダー格になる。

何度見てもこの部分のドラマの構造が完璧だと思うのだが、ビリー自身がリーダーの立場を求めたわけでもなく、周囲がビリーをリーダーにしたがったわけでもなく、本当に自然な流れでビリーが主導権を握り始めるのである。

ではなぜそんなことになったのかというと、緊急事態における腹の座り方や決断力が飛び抜けており、常に一段上から物事を眺めているという、天性の素質があったためである。

他のメンバーは常におろおろしている。

とはいえ知能レベルは変わらないので全員がそれらしいことを考え、中には正しいことを言う奴もいるのだが、では自分の方針をグループ全員に押し付けられるか、みんなに向かって「俺の言う通りにしろ」と断言できるかというと、そこまでは思い切れない。

しかしビリーにはそれができる。だから他のメンバーはビリーに対する不平を言いつつも、いざという時に右か左かを決める役は、いつもビリーに任せるのである。

実社会で会社組織などを見ていても、リーダーになれる人となれない人の違いってこういうところにあるのではないかと思う。

会社に対する立派な意見を持っている、素晴らしい提案もできる、しかし「俺に任せてくれ」と言えないタイプの人材はいる。そういう人はリーダーになれない。

他方で、仮に思考力は他のメンバーに引けを取るにしても、「みんなでこの方針で進もう」と言い切れる人材は、リーダーになれる。

上述の通りモーガン・クリーク・プロダクションズの第一回作品であり、メンバー達には会社創業の苦労の記憶が新しいためなのか、そうした組織論的な考察が鋭いことが、本作の意外な味となっているのである。

包囲戦の軽さはちょっと問題

とまぁ褒めちぎってばかりなので最後に文句を一つだけ言うけど、クライマックスの包囲戦の緊張感のなさは、今回の鑑賞で気になった。

史実ではマーフィ一味の拠点「ザ・ハウス」に立てこもったらしいのだが、映画ではアレックス弁護士の家ということになっている。

弁護士宅におびき寄せられたビリー達はマーフィ一味、賞金稼ぎ、騎兵隊らに取り囲まれ、そこからどう脱出するのかということが山場となるのだが、戦力的には圧倒的優位にありながら攻めきれないマーフィ側が、手抜きして戦っているようにしか見えない。

さらには、ガトリング砲という『ワイルドバンチ』(1968年)以来の西部の必殺兵器を、弁護士という戦場においては非力な対象にしか向けないという頓珍漢な戦い方もどうかと思う。

その他、こちらの弾は相手に当たるのにあちらの弾はなかなか当たらないとか、知名度の低いキャストは死んで高いキャストは生き残るという続編への架け橋的展開が興ざめだったりとか、全般的に良くなかった。

ところで、チャベスが逃げる隙は一体どこにあったんだろう。

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