【良作】ヒッチャー_ジョン・ライダーは何者なのか(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1986年 アメリカ)
表面上はサイコスリラーで、その筋で見ても十分に怖いのだが、演じるルトガー・ハウアーの怪演もあってジョン・ライダーはサイコキラーを越えた存在となっており、人間ではない何かと見ることもできる。その哲学的な奥行きが本作の魅力だといえる。

作品解説

22歳のエリック・レッドが脚本執筆

本作のオリジナル脚本を書いたのはエリック・レッド。『ニアダーク』や『ブルースチール』など初期のキャスリーン・ビグロー作品によく関わっており、そのエッジーな作風から一部の映画ファンからの熱い支持を得ている脚本家である。

二転三転した『エイリアン3』(1992年)に関わった脚本家の一人でもある。

レッドが20歳の頃、長編監督デビューのきっかけとするために短編映画『ガンマンズ・ブルース』(1981年)を製作したのだが、どこからもオファーが来ることはなく、借金だけが残った。

経済的苦境に陥ったレッドは、一時的に映画界の夢を断念してタクシードライバーに転身したのだが、その際に本作のインスピレーションを得たという。

1983年頃に書かれた本作の初期稿は190ページにも及んだ。脚本1ページが上映時間1分に相当すると言われているため、初期稿は3時間超の大作だったということになる。

初期稿を仕上げたレッドはハリウッドのプロデューサー宛に脚本コピーを送らせて欲しいとの手紙を書き、後に『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985年)を製作するデヴィッド・ボンビックがこれに反応した。

メジャースタジオを転々とした企画

ただし、脚本を読んだボンビックは残酷すぎると感じたため、個人的なつながりのあるキップ・オーマン(『ザ・フライ』)にも脚本を見せた。オーマンも同じ印象を持ったものの、同時に物語に力強さも感じた。

ボンビックとオーマンは本作のプロデューサーに就任する。

次にボンビックは上司のエド・フェルドマン(『トゥルーマン・ショー』,『K-19』)とチャールズ・ミーカー(『ゴールデン・チャイルド』,『ニアダーク』)に脚本を見せて、これを気に入った二人も製作総指揮として本作に参加することになった。

ここから企画が本格化し、レッドとオーマンが共同で脚本を書き直した。

オーマンは『ザ・フライ』(1986年)で仕事をしていた20世紀フォックスに脚本を持ち込み、製作部門の重役デヴィッド・マッデンから素晴らしいとの評価を得たことから、いったんはフォックス配給に落ち着く。

しかし、依然として残酷だった内容にフォックスの幹部達は難色を示し、最終的には予算上の問題を理由に、フォックスは企画を下りた。

その後、ワーナーやユニバーサルに企画を持ち込み、脚本はそれなりに評価されたものの、ハンバーガーから目玉が出てくる場面と、少女が引き裂かれる場面が問題視された。

交渉の結果、「ハンバーガーから目玉」は「ポテトから指」に置き換えられたものの、少女が引き裂かれる場面は作品の本質にかかわる部分であるとして、プロデューサー達は譲れなかった。

大のおとな達がどんなことで揉めてるんだと思うが、実際、これらの描写がボトルネックだった。

その後、HBO/シルバースクリーンに企画が持ち込まれ、彼らは少女引き裂きを容認した。で、HBO/シルバースクリーンの配給はトライスターピクチャーズが行っていたことから、トライスター配給も決まった。

実力者揃いのスタッフ

かくして製作が決まったのだが、監督こそ「とにかく安くやれる奴を」ということでカメラマン出身で本作が長編デビュー作となるロバート・ハーモンが選ばれたものの、主要なスタッフにはなかなかの実力者が並んでいる。

まず撮影だが、後に『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年)でオスカーを受賞、他に『ハリーポッターと賢者の石』(2001年)、『マッドマックス 怒りのデスロード』(2015年)などの大作を手掛けるジョン・シールが担当。

ハイライトのカーチェイスでは、怒りのデスロードの片鱗を拝むことができる。

次に音楽はトランペット奏者で、映画音楽に参入したばかりのマーク・アイシャム。1990年にはグラミー賞を受賞する人物であり、映画音楽の世界では『ブレイド』(1998年)や『ミスト』(2007年)などを手掛ける。

ロバート・ハーモン監督とはヴァンダム主演の『ボディ・ターゲット』(1993年)でも組んだ。

そして編集はフランク・J・ユリオステ。『ロボコップ』(1987年)『ダイ・ハード』(1988年)、『氷の微笑』(1992年)でアカデミー賞にノミネートされる才人である。

華のあるキャスティング

次にキャスティングであるが、脚本上、ジョン・ライダーは痩せ型という設定だったため、デヴィッド・ボウイ、スティング、テレンス・スタンプらが考慮された。一時期はサム・エリオットに決まりかけたものの、給与面で折り合えなかった。

そんな折、LAに短期滞在していたオランダ人俳優ルトガー・ハウアーに脚本を見せたところ、彼の興味を引いた。

当時のハウアーは『ナイトホークス』(1981年)や『ブレードランナー』(1982年)などハリウッド映画での悪役が続いており、「もう悪役はやめよう」と思っていたところだったのだが、それを翻意させるほどの力がこの脚本にはあった。

そしてポール・バーホーベン監督の『グレート・ウォリアーズ/欲望の剣』(1985年)で共演したハウアーに感銘を受け、彼と再び仕事ができる機会を探していたジェニファー・ジェイソン・リーがヒロイン役に決まった。

主人公にはマシュー・モディーン、トム・クルーズ、エミリオ・エステベスらが検討されたのだが、プロデューサー達がルックスを気に入ったということもあり、他の候補たちと同年代のC・トーマス・ハウエルにオファーされた。

ハウエルもまたルトガー・ハウアーとの共演を望んで本作のオファーを引き受けたのだが、撮影現場でのハウアーはジョン・ライダーそのもので、恐ろしくて近寄れなかったらしい。

全米大コケ作品

1986年2月21日に全米公開。トライスターは「今年一番の映画」と自信を持っていたものの、蓋を開けると初登場8位という惨憺たる記録で、翌週にはトップ10圏外に弾き出された。

全米トータルグロスはたったの584万ドルで、790万ドルという控えめな製作費すら回収できなかった。

批評家からも酷評を受けた。『激突』の劣化コピーだの、ジョン・ライダーの意味不明ぶりがプロットホールだのといろいろ言われたが、メジャースタジオが懸念した通り、少女引き裂きがもっとも問題視された。

ホームメディアでの再評価

なのだが、ホームメディアの普及と共に作品の真価が認識されるようになった。

2003年には続編が製作され、2007年にはマイケル・ベイの手によってリメイクも製作されている。

スタンリー・キューブリックは本作の出来を褒めて回り、クリストファー・ノーランはルトガー・ハウアーの怪演を評価、J・J・エイブラムスは『10クローバーフィールド・レーン』は本作の影響下にあることを公言した。

今やヒッチャーを馬鹿にする者はおらず、当時本作を貶した連中が赤っ恥をかいている状態である。

感想

昔のDVDの字幕がひどかった件

映画本編の内容ではなくて申し訳ないのだが、まずは本作と私の関わり合いから。

初見はDVDなのだが、1998年に発売されたパイオニア版ではなく2003年に発売されたユニバーサル版で、これが不幸な出会いとなった。

当時、ユニバーサルからリリースされた旧作(『ディア・ハンター』,『戦争のはらわた』,『卒業』など)は、かなりの確率で日本語字幕に問題を抱えていた。日本語に堪能ではない人が翻訳したのかと思う程の出鱈目な字幕で、作品の雰囲気を壊しまくりだったのである。

例えば”I want to die”というジョン・ライダーの印象的なセリフが、日本語字幕だと「し・に・た・い」である。これでは風情も何もあったもんじゃない。

面白い・面白くない以前の問題として、見てられないというレベルだったので、当該DVDは自宅で長く封印していた。ちょっと前にメルカリでそこそこ高く売れたので、多少は許せる気になったが。

で、最近になってAmazonプライムで配信されていたのを発見したのだが、字幕が正常化されていて、ようやくちゃんとしたバージョンで鑑賞することができた。

こんな良いものを見せていただいたAmazonさんの名声は、五大陸に響き渡るでぇ。

恩を仇で返される不快感

荒野を一人で運転している主人公がヒッチハイカーを拾ったら、そいつがヤバイ奴だったというのが、本作のざっくりとしたあらすじ。

主人公のジム(C・トーマス・ハウエル)は居眠り運転で冷やっとして、眠気覚ましのために誰か話し相手でも置いておこうという軽い気持ちから、ヒッチハイカー(ルトガー・ハウアー)を拾う。

暗闇の上に豪雨だったのでハイカーの姿を事前に視認できなかったのだが、いざ乗せてみると汚い身なりのおっさんだったので、ちょっと引く。

この序盤のやりとりが短いながらも秀逸なのだが、ヒッチハイカーを拾うという行為はハイカー本人からは感謝されてしかるべきで、汚い身なりのおっさんならば尚のことという感覚がこちら側にはある。

しかしハイカーの側が感謝の念を示さないどころか、どこに行くのかと聞いてもはぐらかし、名前を聞いても「ジョン・ライダー」と明らかに偽名だと分かる名を名乗る。そしてタバコをくれとまで言い出す。

完全におかしい奴である。

異常者と密室で二人っきりという恐怖や、恩を仇で返されるという不条理がこの短いやりとりに充満しているし、偶然にも異常者に関わってしまうという回避不可能なトラブルには、誰もが我が身に置き換えて考えられる普遍性がある。

本作を大都会に置き換えたのがマイケル・マン監督の『コラテラル』(2003年)ではないかと、個人的には思っている。

無難にやり過ごしたいジムは笑顔で応対してはいるものの、内心では常識が通じないヤバイ奴だ、何かされる前に適当な理由を付けて降ろさなきゃと思っている。この緩やかな緊張感が良い。

しかしライダーはこちらの不信感を嗅ぎつけたかのようにナイフを取り出し、抵抗ができないようにしてくる。

そして凶器を突き付けているのはそっち側なのに、「俺を止めてくれ」などと言ってきて支離滅裂。この人には論理立てた交渉も何か誘因を与えながらの取引も通用しない、もう殺されるしかないんだなという絶望感が凄い。

が、ジムはライダー側が半ドアになっていることに気付き、一瞬の隙を突いてライダーを車から落とすことに成功する。

序盤の時点で主人公が一旦サイコキラーを撃退する。この構成も斬新だった。

地獄のキャッチ&リリース

異常者から逃れたと思って安堵するジムだが、追い越された車にはライダーの姿が。次のガソリンスタンドでは車の一家が惨殺されており、ジムはライダーとの再会も果たす。

しかし、明らかに殺せる状況なのにライダーは何をしてくることもなく、ただ車の鍵を渡してくるだけ。

「とりあえずお前は逃げろ。俺は追いかけるわ」という異常な鬼ごっこが始まるのである。

異常者に突然襲われるのも怖いが、何か特別なものを一方的に感じ取られてキャッチ&リリースされるというのも、それはそれで怖い。

ここからジムはライダーに徹底的に弄ばれる。

車に乗れば追いかけ回され、立ち寄ったガソリンスタンドは爆破され、飯を食えばポテトに指を入れられる。凄まじい手数の多さとフットワークの軽さである。

当然のことながらジムは警察を呼ぶ。この手のスリラーでは「なんで警察を呼ばないんだ」とイライラさせられることが多いのだが、本作の場合は早い段階で警察を巻き込むので余計なストレスがない。視聴者への思いやりある親切設計だと言える。

しかし地元警察は阿呆揃いで、ライダーがしでかした悪事はすべてジムの仕業だと思い込み、留置所にぶち込んでしまう。

するとライダーが現れ、ターミネーターのように警察署にいた者を皆殺しにすると、ジムを再び鬼ごっこに引き戻す。まさかサイコキラーが真昼間に警察署を壊滅させるとは思わなかったので、この展開にもまた驚いた。

この映画、サプライズの入れ方がとにかくうまいのである。

その後も、ジムがどう逃げてもライダーは現れ、ジム以外の人間を殺す。そして被害が拡大すればするほど警察はジムへの疑いを強め、本格的な捜査網が敷かれ始める。ジムは完全に泥沼にはまった。

絶望したジムは自殺を試みるも、引き金は引けなかった。彼に残っているのはライダーへの恐怖でも犠牲者たちへの哀悼でもなく、純化された生存本能のみ。

この辺りから、物語は哲学味を帯び始める。

ライダーが人を越えた何かであるように、本作もサイコスリラーを越えた何かに変貌していく。

続くダイナーでのジムとライダーの対話場面はルトガー・ハウアーの真骨頂であり、相変わらず言ってることの意味はほとんどわからんのだが、その悪のカリスマぶりには圧倒的なものがあった。

その後も、警察がジムに追い付こうとすればライダーが現れて追っ手を撃退するのだが、捜査網の拡大と共にカーチェイスも派手になる。

この辺りは、後に『マッドマックス 怒りのデスロード』も手掛ける撮影監督ジョン・シールの手腕もあって、抜群にかっこいい見せ場としても仕上がっている。

荒野を疾走する車を低空飛行のヘリが追いかけるという構図などは、マイケル・ベイを10年先取りしていた。本作は見せるアクション映画でもあるのだ。

ジョン・ライダーとは何者だったのか ※ネタバレあり

結局、ジョン・ライダーとは何者で、一体何がしたかったのか?劇場公開時からの論点である。

『笑っていいとも』にC・トーマス・ハウエルが出演した際、タモリからジョン・ライダーとは何者だったのかと聞かれたハウエルは、「あれは怖いおじさんです」と答えた。

映画で提示された情報を忠実に辿れば、序盤での「俺を止めてくれ」がすべてなのだろう。

ライダーはどうしようもない異常者で、もはや自制すら効かない。そこにジムとの出会いがあって、最初はいつもの獲物として認識しているのだが、思わぬ反撃を喰らったことから「こいつなら俺を殺せるかも」と思う。

そこでライダーはジムを徹底的に追い込んで、自分を殺さざるを得ない精神状態を作り出したというわけである。

クライマックスでの対決場面、ライダーはジムを殺せるにも関わらずボンネットやパトランプなど無関係なものばかりを撃って彼を仕留めなかった一方で、ジムがショットガンを握ると抵抗せず撃たせた。やはりライダーはジムに自分を殺して欲しかったのだろう。

これが表面的な解釈。

しかし、ライダーの暴れっぷりや神出鬼没ぶりが度を越しており、人間ではない何かと見ることもできる。

もしかしたらジムは冒頭の居眠り運転で死んでおり、本編で描かれたのはさまよえる魂と死神との対話だったのではないか。

そのように勘繰ることもできる奥行きが本作にはある。

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