【凡作】ディアボロス/悪魔の扉_法曹界は魑魅魍魎の住処(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1997年 アメリカ)
依頼人のためならどんな屁理屈でもこねて無罪に持ち込む悪徳弁護士事務所の話かと思いきや、テーマは人間の欲望全般にまで発展するので、全体的なまとまりは悪い。基本的に面白くないのだが、アル・パチーノ扮するミルトンだけは筋の通ったことを言うので興味深い。

作品解説

元はブラッド・ピット主演作だった

1990年に書かれた小説『The Devil’s Advocate』が原作。

法曹界には悪魔が巣食っているのではないかという同作の映画化権を購入したのはワーナーで、『セント・エルモス・ファイアー』(1985年)のジョエル・シュマッカーが監督に就任し、人気急上昇中だったブラッド・ピットが主演する予定で、90年代前半に映画化プロジェクトが始まった。

なのだが、サタンを演じるのに最適な俳優が見つからず、プロジェクトは中止。

こうしていったんはクローズした企画だが、90年代半ばに息を吹き返す。

O・J・シンプソン事件が製作のきっかけ

この時に何があったのかというと、O・J・シンプソン事件である。

O・J・シンプソンとは70年代に活躍したアフリカ系のプロフットボールプレーヤーであり、引退後に殿堂入りするほどの名選手だった。

また選手時代から映画俳優としても活躍しており、『タワーリング・インフェルノ』(1974年)や『カサンドラ・クロス』(1976年)などパニック映画の常連で、『ターミネーター』(1984年)でターミネーター役の候補にも挙がっていた。

そんな多才なスターなのであるが、1994年6月に元妻とその友人の第一級殺人容疑者として捜査線上にあがったうえ、逮捕当日に繰り広げた派手なカーチェイスが生中継され、全米メディアをにぎわせた。

DNA鑑定の結果、彼が殺人犯であることはほぼ間違いない状況となったのだが、これに対抗するためOJは金に糸目をつけずドリームチームと呼ばれる弁護団を結成した。弁護士費用は5億円かかったと言われている。

DNA鑑定という圧倒的な証拠をはぐらかすためにドリームチームが用いた意図的な論点ずらしは、後に『サウスパーク』でパロディにされ、チューバッカ弁論という名でネット上のミームとして定着する。

チューバッカ弁論とはどういうものなのかは検索して調べていただければ分かるとして、まぁ何とも馬鹿馬鹿しい話なのだが、これが通用するのが法曹界なのである。

兎にも角にもドリームチームは見事無罪判決を勝ち取ったのだが、誰の目にもクロであることが明白な案件が、大金で買った弁護テクニックによりシロと判定されたことで、弁護のあり方が問われる一件ともなった。

この社会的論議が、本作の趣旨と一致すると見做されたのである。

『愛と青春の旅立ち』のテイラー・ハックフォードが監督

なのだが、当初の監督だったジョエル・シュマッカーは『バットマン』シリーズに取り組んでおり、新しい監督が必要になった。

そこで選ばれたのが『愛と青春の旅立ち』(1983年)のテイラー・ハックフォードで、ハックフォードは前作『黙秘』(1995年)でもコンビを組んだ脚本家トニー・ギルロイに本作の脚色をさせた。

トニー・ギルロイは後に『ジェイソン・ボーン』シリーズで一般的な知名度を獲得することになるが、この時点では大作の仕事がぼちぼち入り始めたばかりの気鋭脚本家だった。

ギルロイは主人公ロマックスがサタンの息子であるという原作にはない要素を付け加えた。また原作にあった同性愛者嫌悪的な描写を取り除いた。

キアヌ・リーブスが『スピード2』を蹴って主演

主演にはベルナルド・ベルトルッチ、フランシス・フォード・コッポラ、ガス・ヴァン・サントといった錚々たる監督との仕事歴があり、また『スピード』(1994年)で一般的な人気も獲得したキアヌ・リーブスが就任した。

キアヌは『スピード2』(1997年)を断って本作に出演したのだが、この時の禍根からフォックスには『地球が静止する日』(2008年)までの10年ほど出禁状態となる。

出来の悪い脚本を提示しておきながら、その問題を指摘されて断られると逆ギレして出禁って、フォックスも随分と肝っ玉の小さいことをするものである。

アル・パチーノに3回断られた

難航したのは、最初のプロジェクトと同じくサタン役である。

ハックフォードの第一希望はアル・パチーノだったのだが、なんと3回も断られている。

もともと本作は視覚効果満載のブロックバスターだったのだが、その手の映画に出演したことのないパチーノは自分ではその役を担えないと感じており、ショーン・コネリーやロバート・レッドフォード辺りが適任じゃないかと言ってきたらしい。

しかしハックフォードの希望はあくまでパチーノだったので、脚本をパチーノのために書き直した。もともと存在しなかったラストの大演説も、パチーノのために加えられたものである。

キアヌもまたパチーノとの共演を望んでおり、もしも金の問題であれば自分のギャラを削ってパチーノの出演料に充ててもいいと申し出た。相変わらずの良い人エピソードである。

こうして三顧の礼をもって迎えられたパチーノは、本作で圧巻のパフォーマンスを披露することになる。

興行的には成功した

本作は1997年10月17日に全米公開され、当時人気だった青春スラッシャー『ラストサマー』(1997年)に次ぐ2位を記録。

その後も堅調に推移し、全米トータルグロスは6094万ドルというスマッシュヒットとなった。

国際マーケットでは北米以上に好調で、全世界トータルグロスは1億5294万ドル。娯楽要素がほとんどない社会派スリラーとしては上々の売上だった。

感想

悪魔の代弁者とは

邦題の「ディアボロス」とは悪魔を意味するギリシア語であり、そこに「悪魔の扉」という副題も付いていて、二連続で悪魔と言うくどい邦題となっている。香港映画『人蛇大戦 蛇』(1982年)みたいな感じ。

そこに来て原題の”The Devil’s Adocate”(悪魔の代弁者)であるが、そもそもカトリック用語であり、転じてディベートテクニックの一つとなり、慣用句としても定着した。

1587年、教皇シクストゥス5世は、聖人を選ぶ際に当人を批判しづらい空気があることを懸念し、あえて批判者を置いて対象者に問題がないことを確認する仕組みを作った。

個人の意見や主張としてではなく、対象がどうあれ批判をしなければならない役割を作ることで議論を深めようとしたわけで、これが「悪魔の代弁者」と呼ばれた。

カトリック教会におけるこの役職は1983年に廃止されたのだが、一般的なやりとりでも有効な仕組みであることから、ディベートテクニックのひとつとして定着し、慣用句化した。

“I’m just playing the devil’s advocate”「あえて反対意見を言ってるんだよ(≒本心からの批判ではないよ)」などという使い方をされる。

そして、法曹界において悪魔の代弁者役を担っているのが弁護士である。

警察が捜査し、検察が立件し、裁判所がジャッジする。各段階には職業倫理が定められているので、放っとくと不当判決連発というわけではないものの、そうは言ってもこのメンツだけだと被疑者が有罪である可能性にばかり目が向いてしまい、冤罪リスクが高まってしまう。

そこで被疑者が無罪である可能性を提示する役割として弁護士が置かれているのであるが、もしもそれが本当に悪魔だったらというのが、原題の意味するところなのである。

テーマを盛り込み過ぎ

主人公ケビン・ロマックス(キアヌ・リーブス)は、若手ながら地元フロリダで無敗を誇る弁護士であるが、ある日、NYの弁護士事務所からヘッドハンティングを受ける。

信じられない好待遇と、弁護士としての高みを目指せるかもしれないという期待から、ケビンはNY行きを決めるのだが、この事務所が依頼人のためなら何でもやる悪徳事務所だったというのが、ざっくりとしたあらすじ。

トム・クルーズ主演の『ザ・ファーム/法律事務所』(1993年)と似たような話だとも思ったのだが、法曹界の問題に留まらぬ人間の欲望全般を扱ったり、オカルト風味が入ったりといった多面性があるのが、本作の強みであり弱みでもある。

いろんなテーマを扱っていて興味深い反面、論点を絞り込めておらず散漫な印象も受ける。また主題へのツッコミが足らず、不完全燃焼に終わっているという印象も持った。

ケビンは事務所の大クライアントである不動産王の殺人事件を担当する。これはO・J・シンプソン事件をモチーフにしたものだろう。

依頼人にはアリバイもあるし、多分やっていないんだろうなと思っていたケビンだが、そのアリバイの証言者が不動産王のために嘘をついていることに気付き、実は有罪だったことを認識する。

正義を重んじてこの証言を不採用とするのか、クライアントの利益のため偽証であっても使えるものは使うのかの判断を迫られるケビン。

弁護士の職業倫理という作品の主題に直結するくだりなのであるが、ここでのケビンの葛藤が中途半端な形で打ち切られてしまうのが何とも残念であった。

なぜこの議論が打ち切られたのかというと、ケビンの妻メアリー・アン(シャーリーズ・セロン)の精神状態が著しく悪化し、早く裁判を終えなければならないという別の事情が発生したためだ。

妻に寄り添わねばならないケビンは、職業倫理の問題をいったん棚上げし、この裁判の決定打になるであろうアリバイ証言を繰り出して、さっさと勝訴に持ち込む。

複数要素を混在させた本作の弱点は、こんなところに表れている。

中途半端な『ローズマリーの赤ちゃん』

では、妻メアリー・アンの物語は一体どんなものかというと、中途半端な『ローズマリーの赤ちゃん』である。

メアリー・アンはフロリダの元気なおねえちゃんという感じで、教養などはあまりなさそうだ。旦那の仕事もよく分かっていない感じなんだが、NYで夢のセレブ生活を送れるということへのベタな憧れは持っている。

ケビンと一緒にNYに越してきた当初は、マンハッタンの一等地に住めるということにテンションが上がったり、事務所からあてがわれた高級マンションに興奮したりもした。

が、他の奥さん連中みたいに高い服を買ったり美容整形したりということに楽しみを見出せないし、パーティに引っ張り出されて社交しなければならないことにも疲れてくる。

外から見ている分には憧れだったけど、実際手に入れてみるとこんな生活は合わないわということに気付くのである。

仕事に忙しいケビンに対して、そんな立派じゃなくてもいいからあなたにいて欲しいのよと訴えるメアリー・アンだが、ケビンは取り合わない。というか取り合えない。

この手のファームはアップorアウト、すなわち昇進できなければ退職あるのみで現状維持という選択肢はないので、ケビンは上を目指し続けるしかないのである。

なのだが、ケビンの仕事をよく理解していないメアリー・アンからすれば、旦那が私を蔑ろにしている、私は孤独だわとなってしまい、余計に精神的ダメージを受けてしまう。

そうこうしているうちに、メアリー・アンには他の奥さんや弁護士が魔物に見えてくる。果たしてそれはメアリー・アンの妄想なのか、それとも悪魔は実在しているのかという、『ローズマリーの赤ちゃん』的な物語になっていくのである。

がしかし、観客はケビン側のドラマから悪魔の実在性を感じ取っているため、メアリー・アンは本当に悪魔に翻弄されているということは明白なのである。そのためジャンルの醍醐味を味わえない。

ケビンの物語とメアリー・アンの物語が見事に打ち消し合う格好になっている。この構成はマズかった。欲をかかずどちらか一方の視点に絞り込むべきだったと思う。

悪魔は究極のヒューマニスト

そんなわけで主人公であるケビン&メアリー・アンの話はあんまり面白くなかったんだが、ファームのトップであるジョン・ミルトン(アル・パチーノ)だけは魅力的だった。これが本作の救いである。

ハッキリ言うとミルトンは悪魔である。映画は序盤からそのことを隠そうともしない。

映画に登場する一般的な悪魔は人間を翻弄し、時に抗えない力でコントロールしようとしてくるものである。『エクソシスト』(1973年)しかり、『エンゼル・ハート』(1987年)しかり、『エンド・オブ・デイズ』(1999年)しかり。

しかし本作のミルトンは違う。彼は人間に対して何も押し付けない。ただ誘因を与え、最終的には自由意志で選ばせているのである。

不動産王の殺人事件のくだりが象徴的なのであるが、通常のサスペンス映画ならば「絶対に無罪にしろ」という苛烈な圧力が主人公に対してかけられるであろう場面であるが、ミルトンは「どちらの選択をしようが、私は君を支持する」と言ってのける。

また裁判準備中にメアリー・アンが精神を病むという状況においても、ミルトンは「家庭優先で君は担当を降りたらどうか?」と提案し、ケビン自ら担当を続ける意向を表明する。

すべてのインモラルな決断は、ケビン自身が下しているのである。これはなかなか面白い展開のさせ方だった。

ミルトンが人間に与えるのは富や虚栄である。ケビンを含む多くの者は、この誘因を与えるだけで奮起し、倫理的に間違った判断も自由意志で下す。

ここで興味深いのが、ミルトン自身は富や虚栄に全く関心がないということである。部下達には一流の生活を与える一方、ミルトンの部屋には仕事用の大きな机と、一枚の絵画しかない。必要なものさえあればいいという生活を送っているのだ。

また運転手付きの社用車を持っていてもおかしくない立場であるにもかかわらず、ミルトンの移動手段は専ら地下鉄。成功のアイコンというものに全く関心がない。

つまりミルトンは彼自身が関心のないものでも、人間が欲しがるとあらば惜しみなく与えており、しかも何ひとつ強要はしていない。よって自分は究極のヒューマニストであると言う。

一方神はというと、人間に欲望を与えておきながら、それを充たすな、我慢して生きろと言い、右往左往する人間を見て笑っているサディストではないかと言う。

言われてみると確かにその通りで、悪魔の癖になかなか良いことを言うものである。

善とは何か、悪とは何かという哲学論争を実に分かりやすくまとめた作品であり、アル・パチーノが関わっている部分だけは抜群に面白かった。

自由意志による決断というテーマを織り込んだのはトニー・ギルロイらしいのだが、実に見事な脚色である。

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