ランボー【傑作】アクションと社会派ドラマのハイブリッド(ネタバレあり・感想・解説)

(1982年 アメリカ)
素晴らしいアクションと社会派ドラマの折衷。それをここまで見事にやり遂げた例は映画史上ほとんどありません。私は正真正銘の傑作だと思っています。後に、スタローンが兵役逃れのためにスイスに逃げ込んでいたことを知っても。

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あらすじ

ベトナム帰還兵のランボー(シルベスター・スタローン)は戦友を訪ねたが、枯葉剤の後遺症でガンを患い、すでに亡くなっていた。ランボーは失意の中で田舎街に立ち寄るが、そこで保安官たちから浮浪者として不当な扱いを受ける。PTSDを患っているランボーは咄嗟に手が出てしまい、その場の全員を素手で叩きのめした後に、山中へと逃走する。

作品概要

映画会社を転々とした企画

1972年にカナダ人デヴィッド・マレル著の原作『一人だけの軍隊』が出版され、直後にコロンビアが映画化権を取得。しかし企画が行き詰まり、コロンビアは映画化権をワーナーに売却しました。

そのワーナーも、『ディア・ハンター』(1978年)や『地獄の黙示録』(1979年)などが製作される前でベトナム戦争映画が忌避される傾向にあった時期にあって、企画の中止を決定。そして、1976年に設立されたばかりの独立系の映画製作会社カロルコに売却されたのでした。

以下は、コロンビアとワーナー時代のプロダクションの過程で考慮されてきた監督やキャスティングの候補です。

  • 監督:マイク・ニコルズ、ランボー:ダスティン・ホフマン
  • 監督:リチャード・ブルックス、ティーズル保安官:リー・マービンかバート・ランカスター
  • 監督:シドニー・ポラック、ランボー:スティーブ・マックィーン、ティーズル保安官:バート・ランカスター
  • 監督:サム・ペキンパー、ランボー:クリス・クリストファーソン
  • 監督:マーティン・リット、ランボー:ポール・ニューマン、ティーズル保安官:ロバート・ミッチャム
  • 監督:ジョン・フランケンハイマー、ランボー:ブラッド・デイヴィス

企画が遅れたことの影響

原作者のデヴィッド・マレルは、世代間対立をテーマのひとつとして執筆していました。

出版された1972年はベトナム戦争の真っただ中であり、ベトナム帰りといっても若者ばかり。朝鮮戦争で勝った親世代が、時代に恵まれなかったベトナム戦争世代に辛く当たることを描こうとしていました。

前述したマイク・ニコルズ監督&ダスティン・ホフマン主演という組み合わせは、モロにこのテーマを反映した人選ですね。ダスティン・ホフマンは暴力的すぎるという理由でランボー役を断ったそうなのですが。

このテーマを際立たせるために、ランボーとティーズル保安官は親子ほど年齢が離れており、ティーズルには朝鮮戦争への従軍経験があるという設定にされていたのですが、原作の出版から映画公開まで10年もかかってしまったために、現在の若者の悩みを描くというテーマは廃れてしまいました。

加えて、1972年時点では保守的な田舎街に行くとヒッピー風の若者が浮浪罪で逮捕され、髪を切られて髭を剃られるということがよくありました。『イージー・ライダー』(1969年)の世界ですね。

しかし10年間でアメリカ国内の風土もすっかり変わり、ヒッピーの恰好をしているからという理由で若者が逮捕されることはなくなりました。

このために、1982年の観客には、ランボーがティーズル保安官に逮捕される理由がよく分からないという問題が発生しました。

スタッフ

監督のテッド・コッチェフって何者?

作品自体のネームバリューに対して監督のテッド・コッチェフという人物はあまり知られていないので、詳しく触れてみたいと思います。

1931年カナダ生まれ。名門トロント大学卒業後にテレビ局に入社し、24歳でテレビドラマの監督を始めました。1950年代のカナダのテレビ界ではもっとも若い監督だったとのことです。

1960年代に映画界に進出し、『荒野の千鳥足』(1971年)や、後にジム・キャリー主演でリメイクもされた『おかしな泥棒ディック&ジェーン』(1977年)などを監督。また『グラヴィッツおやじの年季奉公』(1974年)ではベルリン国際映画祭金熊賞受賞と一定の評価を得ていました。

加えて、どんなジャンルでも器用にこなせる職人気質の監督は、スタローンが好む資質でもありました。

現場管理を任せられる業務処理能力の高さと、クリエイティブ面での主張のなさが丁度良かったのか、かつては何人もの大物監督の名前が候補として挙げられていた本作の監督の座に、本来は脚本家として参加していたコッチェフが就いたのでした。

本作で成功を収めた後には、戦闘中行方不明者を探しに兵士の父親がベトナムに乗り込むという『ランボー/怒りの脱出』(1985年)の内容を先取りしたかのような『地獄の7人』(1983年)を監督したのですが、こちらはパっとしませんでした。

以降はロクな映画を撮ることはなく、1990年代半ばに映画界からはフェードアウト。しかしテレビ界での仕事は続いていて、『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』のプロデューサー及び監督なども務めました。

クレジットされた脚本家達

本作には、自ら脚本を書けるスタローンに加えて、マイケル・コゾルとウィリアム・サックハイムという耳慣れない2名の脚本家もクレジットされています。

マイケル・コゾルは1970年代にテレビ界で脚本家としてのキャリアをスタートさせ、『刑事コジャック』のワンエピソードを担当するなどしていました。本作の後にも基本的にはテレビの人であり、唯一、マイケル・J・フォックスとジェームズ・ウッズが異色のバディを組んだアクションコメディ『ハード・ウェイ』(1991年)で映画の脚本を書いています。

ウィリアム・サックハイムは1940年代から映画界で脚本を書いてきた超ベテランであり、1950年代に入るとテレビ界に活躍の場を移しました。本作後には、マイケル・コゾルが脚本に参加した『ハード・ウェイ』(1991年)のプロデュースを行いました。

この2名に言えることは、関わってきた作品数が異様に多い脚本家だということであり、監督の人選と同じく、どんなジャンルでも器用にこなせることから、スタローンのビジョンを的確に反映できる職人として呼ばれたのではないかと思います。

実際、原作では悪鬼の如く20名以上を殺したランボーを映画版では人を一人も殺さないキャラクターに変えるという、作品の根本を揺るがしかねない方針転換をスタローンが考え付いたのですが、この脚本家達は作品の趣旨を見失うことなくアイデアを具体化してみせています。

登場人物

ジョン・ランボー(シルベスター・スタローン)

元グリーンベレーで、恐らくPTSDを患っています。はるばる戦友を訪ねて来たがすでに死亡しており、失意の中で食事のために立ち寄った田舎町でティーズル保安官に目を付けられ、不当な暴行を受ける中で戦闘スキルを炸裂させ、お尋ね者となりました。

モデルは実在する第二次世界大戦の英雄・オーディ・マーフィだと言われています。

マーフィはテキサス州出身で第二次世界大戦中にアメリカ陸軍の軍人として最多の勲章を受けた兵士として紹介され、戦後は映画俳優に転じた人物でした。マーフィは恐らくPTSDを患っており、俳優としての成功とは裏腹にギャンブルやアルコールに溺れていました。

1970年には喧嘩相手を殴り殺す事件までを起こしており(裁判では無罪になった)、テキサスタワー乱射事件を起こしたチャールズ・ホイットマンと並んで、精神状態が不安定になった殺人マシーンの恐ろしさを世に知らしめました。

サミュエル・トラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)

軍隊時代のランボーの上司。ランボーからの信頼は厚く、またトラウトマン自身も自分が作り出した殺人マシーンの最高傑作としてランボーを誇らしく感じていたものの、除隊後に社会に馴染めなかったランボーからのSOSは無視していました。

現場にはティーズル保安官の手助けに来たのですが、もっぱらランボーがいかに強いかと、田舎警察に対処できる相手じゃないと何の足しにもならないことを言うだけで、ティーズルからはウザがられています。

トラウトマンという名前にはマス釣り漁師という意味があり、彼が計算高く他人を操るずる賢い人間であることを暗示しています。

またファーストネームのサムはアンクル・サムから取られており、若者を洗脳して戦争へと駆り出す国家を反映した人物ともなっています。

当初キャスティングされていたのはカーク・ダグラスで、ロケ現場にまでは来ていたのですが、自分が演じるキャラクターが悪人であることに気付いて帰ってしまいました。そこで中堅の性格俳優リチャード・クレンナが急遽キャスティングされたのでした。

これがアンクルサム

ティーズル保安官(ブライアン・デネヒー)

街の保安官で、街を愛する余り、身なりの悪いランボーが街に立ち入ろうとすることを警戒。とはいえ当初はランボーに穏やかに話しかけ、「悪いな」と言いながら自身の運転するパトカーでランボーを街はずれにまで送り届けるなど、彼なりの配慮はしたつもりだった。

拘留後にも、判事の心証を害してランボーが不利にならないようにとシャワーを浴びて無精ひげを剃るよう促すなど、それなりに気遣ったことも言うのですが、そうした上司の言葉を粗暴な部下のガルトがランボーを暴行する口実に使ってしまったために、両者の関係は致命的に悪化しました。

ティーズルには朝鮮戦争の英雄という設定があり、運よく勝ち戦に参加して英雄になれた世代が、運悪く負け戦に参加してしまった若い世代を蔑むという、世代間対立も作品のテーマの一つとなっています。

また原作においては、彼自身は子供を欲しがったものの、妻は子供を持つことを望まず、意見が合わずに熟年離婚したという設定があり、そうした心の闇が過剰なマッチョイムズへと繋がっているという考察もなされています。

ティーズル”Teasel”という名は、末尾のLをとると”Tease”(いたぶるという意味)となります。

感想

舐めてた無職が実は殺人マシーンだった

本作はアクション映画の定番である「舐めてた相手が実は…」を忠実になぞらえたものであり、汚い身なりからただのホームレスだろうと思って保安官たちが乱暴を働いた相手が、実は精鋭部隊の中でも最高レベルの殺人スキルの持ち主だったことが分かって焦るという、実に胸躍る展開を迎えます。

忍従に忍従を重ねた末に、ランボーが保安官事務所に居た複数人をあっという間に殴り倒して脱走する場面の高揚感は素晴らしかったし、保安官事務所を飛び出したところでメインテーマが高鳴る場面ではテンションMAXでした。ジェリー・ゴールドスミス先生は観客の心の動きを実によくわかってらっしゃると感動しました。

ノンストップアクションの元祖

そこから映画は1時間に及ぶノンストップのアクションに突入していき、説明的な会話や休息などは一切入りません。見せ場のためにストーリーが書かれ、見せ場によってストーリーが進んでいくという、アクション映画としてかつてない次元へと足を踏み入れていくのです。

カーチェイスに始まり、崖からのダイブ、足を使った追っかけ、罠を張っての反撃、廃坑でのサバイバル、そして市街地の破壊と、見せ場の手数とバリエーションはすさまじく、アクション映画のカタログ状態となっています。ただスタローンがマシンガンを乱射しているだけの『2』以降と比較しても、本作の見せ場の作り込みは突出しています。

映画の売り方を知っているカロルコは、本作の配給権を売るためにカンヌ映画祭でアクションのみを繋ぎ合わせた40分のダイジェスト版を作成して各国のバイヤー向けに上映したのですが、これを見たバイヤー達の反応はすさまじく、この凄い映画をうちにも売ってくれと市場の競りのような状態になったようです。

兵士の苦悩を扱ったドラマ

作品の本質はアクションではあるのですが、ランボーが戦友を失った冒頭に始まり、保安官事務所で理不尽な暴力を受ける様から、通常のアクション映画にはない湿っぽさがあり、また演じるスタローンの熱演もあって、ただのアクションヒーローではないキャラクターが構築されています。

クライマックスで街を爆破して回る場面でも、そこに見世物的な爽快感は皆無であり、やり場のない男の怒りの象徴として映るようにできています。アクションは撮れるが、ゴリゴリのアクション監督でもないテッド・コッチェフ監督の資質が、こんな部分で見事に生きています。

そして白眉はラストのランボーの独白であり、それまで寡黙だったランボーがトラウトマン相手に堰を切ったように話し出し、泣き崩れる場面には心打たれるものがありました。

それは負け戦で祖国に泥を塗ったという理由でまともに顧みられてこなかったベトナム帰還兵達の代弁であり、「なにも終わっちゃいねぇ、なにも。言葉だけじゃ終わらねぇんだよ」(渡辺謙版の吹替より)というセリフには大変な重みがありました。なぜこの名演でスタローンがいかなる演技賞へのノミネートもされなかったのかが不思議で仕方ありません。

原作とは異なるラスト

なお、このクライマックスは原作にはないものです。原作のラストはトラウトマンがショットガンでランボーの頭を吹き飛ばすというものでした。

映画版ではこれをトラウトマンの持っていた銃でランボーが自殺するという話にして、それでいったん映画は完成したのですが、ランボーが死んだことに試写の観客達が反発したことから、再撮影を行ってランボーを生かす結末に変更されました。

ランボーの独白は再撮影の現場で急遽スタローンが書き足したものなのですが、これだけ胸を打つスピーチを書けるなんて、スタローンの脚本家としての才能すごすぎでしょ。

社会的な意義を考えても、ランボーを殺して終わりではなく、社会に居場所を見つけられなかった男が、再度社会と向き合う決意をする本作のラストの方が、より深く現実的だったと言えます。

原作を改変して最善の着地点を見つけ出したという脚色の大成功例でした。

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