【良作】ピースメーカー_アメリカの患部を突きすぎたアクション大作(ネタバレあり・感想・解説)

軍隊・エージェント

(1997年 アメリカ)
外観上は巨悪に奪われた核弾頭を米国エージェントが追いかけるという類型的なアクション大作なのですが、民間人への被害や追跡中の領空侵犯の結果起こる国家間トラブルなど、通常のアクション映画であればご都合主義で片付けられる部分にスポットを当てたユニークな作風となっています。娯楽作としても面白く、必見です。

あらすじ

ロシアにて廃棄予定の核弾頭1発が爆発した。当初は事故と見られていたが、米統合参謀本部のデヴォー中佐(ジョージ・クルーニー)は人為的に引き起こされた爆発であると推測。当時、その場には10発の核弾頭が存在しており、爆発した1発を除く9発が何者かによって盗み出された可能性を示唆した。

統合参謀本部はデヴォー中佐に核弾頭の追跡を指示。核の専門家であるケリー博士(ニコール・キッドマン)がパートナーとして同行することになった。

スタッフ・キャスト

ミミ・レダーの映画監督デビュー作

1952年ニューヨーク出身。

父はB級映画監督のポール・レダーで、『ホワイト・ハウスに赤いバラ』(1977年)、『大虐殺(みなごろし)の最後通告』(1987年)、『20$スター/引き裂かれたハート』(1989年)といったそそるタイトルの駄作を撮っていた人でした。

そんな父への反発があったのかなかったのか、彼女は大手テレビ局が製作するドラマの監督としてキャリアを築き上げ、『L.A. LAW/7人の弁護士』(1987年)やスピルバーグ製作の『ER 緊急救命室』(1994年)で頭角を現しました。

『ER』で見せた手腕や、同じく黒澤明フリークであったことからかスピルバーグからの信頼は厚く、本作の監督に抜擢されました。

本作後にはスピルバーグが降板した『ディープ・インパクト』(1998年)も監督しました。

脚本は『クリムゾン・タイド』のマイケル・シファー

デニス・ホッパー監督×ロバート・デュバル主演のクライムアクション『カラーズ/天使の消えた街』(1988年)が脚本家としての初クレジット作品。軍事アクションを得意としており、トニー・スコット監督の『クリムゾン・タイド』(1995年)や、テレビゲーム『コール・オブ・デューティ』シリーズの脚本を書いています。

主演はジョージ・クルーニー

1961年ケンタッキー州出身。

父のニック・クルーニーは映画評論家兼ニュースキャスター、叔母のローズマリー・クルーニーは有名な歌手、血の繋がらない従兄のミゲル・フェラーは『ロボコップ』(1987年)『リベンジ』(1990年)に出演する俳優という、ショービズ一家に生まれました。

ノーザンケンタッキー大学に進学したもののすぐに中退し、1978年頃から俳優業を開始したのですが、10年以上もまったく売れない状態が続きました。

32歳の時に「これに落ちたらケンタッキーに帰る」という背水の陣で挑んだ『ER 緊急救命室』(1994年)のオーディションに合格し、同作で演じたダグ・ロス役は大人気を博しました。

ロバート・ロドリゲス監督の『フロム・ダスク・ティル・ドーン』(1996年)で映画界出演を本格化させ、『アウト・オブ・サイト』(1998年)でスティーヴン・ソダーバーグ監督と親しくなりました。

アカデミー賞の常連であり、スティーヴン・ギャガン監督の『シリアナ』(2005年)でアカデミー助演男優賞を受賞し、また『グッドナイト&グッドラック』(2005年)でアカデミー監督賞と脚本賞にノミネートされました。

プロデューサーを務めたベン・アフレック監督の『アルゴ』(2012年)では作品賞を受賞しました。

共演はニコール・キッドマン

1967年ハワイ州出身で、4歳の時に両親の母国であるオーストラリアに帰国しました。

15歳でテレビやMTVに出演し始め、フィリップ・ノイス監督の『デッド・カーム/戦慄の航海』(1988年)がトム・クルーズの目に留まったことからハリウッドに招かれ、『デイズ・オブ・サンダー』(1990年)で共演しました。

1990年にトム・クルーズと結婚し、『遥かなる大地へ』(1992年)と『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)で共演しました。

トム・クルーズと離婚した2001年以降は演技派女優としての地位を確立し、『ムーラン・ルージュ』(2001年)でゴールデングローブ主演女優賞、『めぐりあう時間たち』(2003年)でアカデミー主演女優賞を受賞しました。

作品概要

ドリームワークスSKG第一回作品

ドリームワークスSKGとは1994年に設立されたハリウッドの映画会社であり、SKGは創設者であるスティーヴン・スピルバーグ、ジェフリー・カッツェンバーグ、デヴィッド・ゲフィンの姓を表しています。

ジェフリー・カッツェンバーグは元ディズニー役員であり、低迷していたディズニー映画部門を立て直した功労者だったのですが、同社の絶対的な権力者であるマイケル・アイズナーとはソリが合わず、その功績にも関わらず社長就任を拒否されました。

そのため1994年にディズニーを退社し、ディズニーに対抗しうる新スタジオの設立を構想しました。

そしてディズニーで腕を振るったカッツェンバーグがアニメ部門、世界最高の映画監督であるスティーヴン・スピルバーグが映画部門、アサイラム・レコードとゲフィン・レコードの創設者であるデヴィッド・ゲフィンが音楽部門をそれぞれ統括するという夢のチームを結成し、ドリームワークスSKGは開業。

ハリウッドでは実に60年ぶりのスタジオ設立ということで当時はかなり注目された会社でしたが、その第一回作品として選ばれたのが本作『ピースメーカー』(1997年)でした。

興行的には成功しなかった

かくして多大な期待を受けて1997年9月に公開され、全米初登場No.1を獲得しました。

ただしお祭り騒ぎ的なアクション大作とは程遠い暗い作風だったことや、アメリカ人にとって見たくない現実が描かれていたことから、そこからは尻すぼみで公開5週目にしてトップ10圏外へと押し出されました。

アメリカ国内のトータルグロスは4126万ドル、全世界でも1億1046万ドルに留まり、この金額は同年に公開された『フェイス/オフ』(1997年)の2分の1、『エアフォース・ワン』(1997年)の3分の1という物足りないものでした。

感想

異形のアクション大作

能天気な爆破アクションが主流だった90年代において他とは明らかに異質なアクション大作であり、外国人が当たり前のように英語を話すことはないし、人の死は当然のことではないし、他国の領空を侵犯すれば攻撃を受けます。核兵器の調達者と使用者を別にしたり(従来の映画にはなかった視点)、現場での意思決定がスムーズにいかなかったりと、現実的によく考えられた脚本だと言えます。

特に印象的だったのはウィーンでのカーチェイスで、敵を皆殺しにしようと決めたデヴォーが対決直前に空へ向けて発砲し、居合わせた一般市民達をその場から退場させるというワンシーンをちゃんと入れています。普通のアクション映画が無視したり見落としたりしている部分をきちんと拾い、都合の良い作りにはしていないことには感心します。

911を予見した内容

現在の目で見ると911を予見したかのような内容にも見応えがあり(あまりに的確すぎたため、911直後にテレビ放映が取りやめられたほど)、世界戦略の失敗からアメリカがテロリストを生み出してしまったこと、テロに加担する科学者がハーバードで教育を受けていたこと、空港の入国管理体制がザル状態でテロリストの入国を許してしまったこと等、アメリカ人にとっては耳の痛い内容となっています。

主人公は善人ではない

テロリストと戦うデヴォーのキャラクターも興味深く、無関係な子供を巻き込んでも構わないからテロリストを射殺しろとスナイパーに命じたり、戦争で妻子を喪ったことへの同情を求めるデューサンを「俺達の戦争じゃない」と言って切って捨てたりと、倫理的にいかがなことをいくつもやります。ドリームワークスは、よくぞこんな作品を第一回作品に選んだものです。

ミミ・レダーの男前演出

監督のミミ・レダーは本作が劇場用映画デビュー作であるにも関わらず、その演出は冴え渡っています。

ウィーンでのカーチェイス、ヘリでの空中戦、ニューヨーク市街地での大追跡など場面毎に象徴的な見せ場が配置されているのですが、これだけ多様な見せ場をなかなかうまくまとめ上げています。

そんな大迫力のアクションの中にも、デヴォーによる容赦のない拷問であったり、狙撃手が誤って一般人を撃ってしまったりといった痛みのある場面もきちんと入れているのは、ドラマ出身監督ならでは。また、ニコール・キッドマンがすべての出演作中でもっとも美しく撮られていることもポイント高いです。

本作での仕事ぶりが評価されて、翌年にはスピルバーグ降板後の『ディープ・インパクト』(1998年)を同じくドリームワークスで監督し、大ヒットさせています。