【凡作】スポンティニアス・コンバッション_怪奇版トゥルーマン・ショー(ネタバレあり・感想・解説)

サスペンス・ホラー
サスペンス・ホラー

(1989年 アメリカ)
トビー・フーパー監督が「月刊ムー」感あふれる題材をシリアスかつ複雑に映画化した意欲作だけど、完成した作品はあまりに説明不足で分かりづらいし、分かろうと努力をするほど面白くはないし、結果、パッとしない仕上がりとなっている。

感想

存在こそ知っていたが、今の今まで未見だった映画。

「ウルトラプライス版」と銘打たれたBlu-rayが1300円で売られていたのを2023年夏頃に購入したが、特に見る気が起こらずしばし放置の状態が続いていた。

このままではソフトが手元にあるという事実すら忘却しそうだったので、寝るまでに時間はあるが長尺の映画では明日に響くという絶妙な日を見つけ、ようやっとディスクを再生した。

平凡な高校教師だと思っていた男が、じつは人体自然発火(スポンティニアス・コンバッション)能力を持っていたというのが、超ざっくりとした概要。

異能の者を題材にした映画は数多くあるが、人体自然発火はマイナーな部類に入る。他にはスティーブン・キング原作の『炎の少女チャーリー』(1984年)くらいだろうか。『X-FILE』の1エピソードにもあったような気がするけど、あんまり覚えていない。

類似作品が少ないということは参照できる過去事例に乏しいということであり、本作の関係者達はいろいろと苦労したであろうことが伺える。

脚本と監督を担当したのは『悪魔のいけにえ』(1974年)のトビー・フーパーで、彼はここに複雑な人間模様や壮大な陰謀が絡む、込み入った物語を構築した。

物語は1955年の水爆実験にまで遡り、来る全面核戦争から民間人を守るための被検体夫婦が映し出される。全体的にグダグダな本作では例外的に、このパートの出来はすこぶる良い。

夫婦は放射能に耐える薬剤を投与された上で、放射線下の環境で数週間を過ごして無事生還するんだけど、この夫婦がどちらも阿呆っぽい童顔で、いかにも騙されやすそうなのが良い。

得体の知れない薬剤を打たれて放射線に晒される実験など、まともな人間が引き受けるはずがなく、これぞ極限のリアリティだと言える。

で、この夫婦は阿呆なものだから、実験期間中にも関わらず普通に夫婦の営みをして、子供を作ってしまう。

「は?どんな状況でやってくれてるんだよ」と焦る科学者たち。

緊急会合が開かれるが、奥に控える一番偉い人の鶴の一声で、一応産ませてみることにする。

お産は無事終わり、手の甲に真円形の痣があるのと、平熱が異常に高いこと以外は特段問題のない子供が産まれるのだが、親子3人の幸せを嚙み締めた瞬間、夫婦の体が激しく燃え上がって二人は絶命する。

ここまでの上映時間約10分。この短時間で不穏なイントロを描き切ったトビー・フーパーの抜群の構成力が光る。ただし構成が素晴らしいと言えるのはここまでだったが。

30数年後、赤ん坊は高校教師となっていた。同じ職場の婚約者にも恵まれ、小さくとも幸せな日常を送っているサム(ブラッド・ドゥーリフ)だったが、周囲で不審な焼死が相次いだことから、自分自身の秘めたる能力を発見し、また生い立ちの謎に迫るというのが、ざっくりとしたあらすじ。

ネタを明かすと、婚約者も育ての親もみんな仕込みで、被検体サムはその生涯にわたって観察され続けてきたという『トゥルーマン・ショー』(1998年)みたいな話になってくるんだけど、説明が不親切で人間関係がとにかく分かりづらい。

医者とか博士が何人も出てきて誰が誰やら分からなくなるし、序盤でサムの車に細工していた女性とか、ラジオで人生相談してる超能力者とか、意味ありげに登場しながら、結局何だったのか分からないままフェードアウトしていく人物もいるし、もはやカオスだった。

主人公の能力設定もよく分からない。

自分の体から炎を発するに留まらず、電話で話している相手や、果てはラジオ人生相談の隣の部屋で作業しているラジオ局員(ジョン・ランディス)まで燃やしてしまう。

また暖炉の炎の眺めていると死んだ両親の記憶がサムに宿るなど、もはやスポンティニアス・コンバッションとも違う特殊能力までを披露し、これまたカオスと化した。

クライマックスでは、同じ能力者である他人の炎を吸うという新機能が、これまた何の前触れもなく登場するので、本来は美しいはずのサムの自己犠牲が「え?今の何だったん?」になってしまった。実に惜しい。

主演のブラッド・ドゥーリフによると、元の脚本の出来は良く、またトビー・フーパーにはこれを描くだけの演出力もあったはずなのに、プロデューサーやスタジオの口出しによって作品がどんどん歪められていったらしい。

当時のフーパーは『スペースバンパイア』(1985年)、『スペースインベーダー』(1986年)、『悪魔のいけにえ2』(1986年)を3作連続でコケさせたところで、発言力が随分と低下していたことが大きかったのかもしれない。

決して甘い作りの作品ではないので嫌いになれない魅力はあるが、かと言って説明の分かりづらさや、唐突に飛び出す設定の唐突さは如何ともしがたい。もうちょっとちゃんと作ってくれれば、見違えるほど良くなったと思うんだけど。

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