(2022年 アメリカ)
待ちに待ったトップガンの続編で、80年代ノスタルジーをくすぐってくるので楽しい作品ではあったが、タイトルが表す通りマーヴェリックが物語の中心であり、トップガン生徒たちのドラマにはさほどのスポットが当たっていないため、群像劇としてはイマイチに感じた。
感想
個人的にはイマイチ
公開前から大絶賛の意見しか聞こえてこなかった本作には期待しかなく、前日に前作『トップガン』(1986年)を鑑賞したうえで、初日にIMAXへ突撃した。
が、個人的にはイマイチだった。
80年代ノスタルジーを刺激してくるので確かにアガる場面はあるし、本物志向のドッグファイトシーンも素晴らしかったのだが、トム・クルーズとジェニファー・コネリーの50代カップルにスポット当てすぎで若いキャラクター達に魅力がなかったり、肝心のマーヴェリックのドラマにも違和感があったりで、全体としてはノれなかった。
また、ストーリーはそうなるしかないよなという方向に向かってひた走っていくので、この先どうなるんだろうというドキドキ感もなかった。
世界的な高評価を見るにつけ、自分は映画に選ばれなかった不運な観客ということになるのだろうが、以下に何が問題に感じたのかを書いていくので、少数意見として読んでいただきたい。
成長していないマーヴェリック
冒頭は第一作をなぞらえた空母の場面から始まる。BGMはもちろん1986年のままなのだが、映像はよりブラッシュアップされていて、21世紀のトップガンという感じがする。
ここで一気にボルテージが上がったのだが、カットはいきなりモハーベ砂漠へと飛んでいく。
前作と同じく空母から物語がスタートするわけではなく、単なるファンサービスだったことにがっかりした。
砂漠ではマーヴェリック大佐(トム・クルーズ)が極超音速機の開発プロジェクトを進めているのだが、エド・ハリス将軍から予算の打ち切りと計画の中止を言い渡される。
が、将軍が飛行場に到着する前にテスト飛行を行い、目標を達成すれば結果オーライで予算が戻ってくるだろうと踏んだマーヴェリックは、急いでテスト機に乗り込む。
結果、目標であるマッハ10を達成するのだが、冒険野郎マーヴェリックは記録をさらに更新しようとして、機を大破させてしまう。
相変わらず無謀なマーヴェリックなのだが、前作において相棒であるグースを亡くした事故からその無謀さを抑えることを学んだはずなのに、また元に戻っているような気がして、私はドラマの断絶を感じた。
当然のことながらエド・ハリス将軍はカンカンに怒っており、マーヴェリックを左遷しようとするのだが、そんな矢先に滅茶苦茶えらくなったトップガン同期 アイスマン(ヴァル・キルマー)からの連絡が入り、マーヴェリックはトップガンに戻されることになる。
首の皮一枚でつながったマーヴェリックだが、話によると彼がアイスマンに助けられるのは今回が初めてのことではなく、何かやらかしちゃあ、同期の出世頭に助けてもらうということをここ30年余り繰り返してきたらしい。
これまたグースの一件から何も学んでいない気がしたし、前作からの経過年数分の重みを感じられなかったことも残念だった。
そこには成長して大人になったマーヴェリックがいるべきだったのに、顔だけが老けた昔のまんまのマーヴェリックでしかないのである。
トップガンは学級崩壊状態
なぜマーヴェリックがトップガンに戻されたのかというと、米海軍が敵国の核施設を破壊するという軍事作戦を計画中であり、その要となるパイロット達を短期間で訓練する必要性が生じたため。
このご時世に敵基地攻撃を平然と行える世界線ってどうなのとも思ったが、これはジェリー・ブラッカイマー製作の映画なので厳しいことを言っても仕方ない。
で、過去半世紀でもっとも武勲をあげたパイロットであるマーヴェリックが指導の最適任者と見做されたのである。
トップガンには選りすぐりの現役パイロット達が集められており、マーヴェリックは彼らを鍛えることとなるのだが、このパイロット達が学生みたいなノリでマーヴェリックに接してくるし、公然と反発もしてくるものだから、とても見ていられなかった。
もはや学園ドラマのノリである。
第一作のマーヴェリックだって教官のトム・スケリット相手に生意気な態度をとっていたが、そんなことをしているのはマーヴェリック一人だけだったのでトップガン全体はちゃんと機能していたし、そのマーヴェリックですら、上官に対する口の利き方などには一定の抑制を聞かせていた。
それに引き換え今回のトップガン生徒たちときたら、曲がりなりにも大佐であるマーヴェリック相手にタメ口を聞くわ、すぐに言い返してくるわ、授業中に喧嘩を始めるわと、学級崩壊のような様相を示す。
軍隊というのは階級がすべてではないのだろうか?中学校の文化部でも、ここまで序列は緩くないだろう。
グースの息子であるルースター(マイルズ・テラー)は前作におけるマーヴェリックに相当する立場、自信過剰なエースパイロットであるハングマン(グレン・パウエル)はアイスマンに相当する立場なのだが、二人とも魅力的ではなかったな。
特にハングマンはただただ嫌味な奴で、彼が良いところを見せる場面がほとんどなかった。
ルースターは露骨にマーヴェリックを拒絶しすぎで、大人の対応ではなかったのでイライラさせられた。
父の友人で、一度は父親代わりを演じようとして失敗した仲とは言え、現在は上官である。しかもプライベートではなく職場で顔を合わせているのに、あまりにも私情が顔や態度に出過ぎ。
もうちょっと内に秘めた反発心のような表現でも良かったんじゃなかろうか。
そのほかの生徒たちはほぼ空気のような存在感であり、彼らの群像劇はサッパリ盛り上がらない。
軍人らしくない見た目で仲間内でもいじられていたボブ(ルイス・プルマン)なんて、クライマックスにかけて大活躍するのが定石だろうと思うのだが、まったくと言っていいほど活躍の場面が与えられていないため、なぜあんなキャラクターを出したのだろうと不思議に思えてくる。
そのほか、多様性を担保するために登場させられたアジア人などは名前も思い出せないほどの空気ぶりで、存在価値がまったくなかった。
ともかく彼らは敵基地攻撃に向けてマーヴェリックからの指導を受ける。
自動追尾ミサイルに狙われないよう渓谷を超低空飛行し、小さな的に向けて爆弾を投下するという難易度マックスの操縦技をいくつもマスターせねばならない。
これがまんま『スターウォーズ』のデススター攻略戦なのが笑わせるが、恐らくは意図的にそうしたのだろう。
なのだが、精鋭揃いのトップガン生徒たちでもその習得には困難を極め、現トップガン責任者サイクロン将軍(ジョン・ハム)すら、これは不可能だと主張する。
様々なドラマを重ねつつも彼らのトレーニングを軸に映画は推移するのだが、結局のところ生徒たちが技をマスターしたんだかどうか分からない状況で実戦に移っていくので尻切れトンボに感じた。
そこはスポーツ映画の要領で、生徒たちの仕上がりを見せて欲しいところだった。
空中戦は見応え十分
そんなわけでドラマにはあまりノれなかったのだが、見せ場は別。
映像の鬼ジョセフ・コシンスキー監督のビジュアルは相変わらず美しく、前作と同じく実機を用いる撮影にこだわったことで、異次元の迫力があった。
戦闘機が速度を上げた瞬間に発生する波動や、踏ん張っているパイロットの表情などは、実機を使わなければ決して出せない表現だったと思う。これにより説得力がぐっと増している。
前作では誰の搭乗機だか分からずドッグファイトの緊張感が途切れるという問題があったが、本作では情報整理にも成功しており、そのような混乱が生じなかった点も良かった。
戦闘中には自己犠牲あり、思わぬピンチあり、ギリギリでの脱出ありと考えうるイベントがこれでもかと詰め込まれていて、これまた盛り上がった。
前述した通り、ミッション自体は荒唐無稽なのだが、これを圧倒的なリアリティで描いているので、なかなか不思議な感覚のアクション映画だとも感じたが。
そして作品の性質上、敵パイロットの個性が描かれないため好敵手は不在であり、無機質な敵機と戦うだけという前作以来の弱点は、如何ともしがたかったようだ。