【凡作】ザ・デプス_コミュニケーション不足の職場は危ない(ネタバレあり・感想・解説)

クリーチャー・メカ
クリーチャー・メカ

(1989年 アメリカ)
肝心の深海モンスターのお姿はほとんど拝めず、大半の問題は特定のクルーが引き起こしているという、何とも壮絶なモンスターパニック(実は人災)だった。ただしこの問題児のキャラに妙な味があるので、駄作とは切って捨てられない魅力もある。

感想

昔、日曜洋画劇場でやってたやつ

子供の頃に日曜洋画劇場で見たけど、ほぼ同じ話の『リバイアサン』(1989年)とごっちゃになっていて、本作固有の思い出ってほとんどない。

おかんビデオテープ大量廃棄事件に端を発したビデオテープ救出作戦の中で、奇跡的に生き残っていた本作の録画テープを発掘したので、3倍録画のガビガビ画質で再見した。

放送日は1990年6月24日。33年前の画質はこんなもんだ
放送枠で流れていたビデオムービー「ブレンビー」のCM。コンパクトさを謳ったムービーがこの大きさという点に、時代の流れを感じる

画質が最悪なので、ただでさえ出し惜しみされていたモンスターが見づらくて仕方ない。

そして本作のオリジナルサイズはシネスコ(2.35:1)なんだけど、テレビ用にスタンダードサイズ(1.33:1)にトリミングされた結果、半分近くの情報を失っており、しゃべってる人の顔が見切れるなど壮絶なことになっていた。

よくこんな状態の地上波放送を、当時は有難がって見てたもんだと思う。

本作のストーリーを考えたのは『13日の金曜日』(1980年)のショーン・S・カニンガムで、『ランボー』シリーズを大ヒットさせていたカロルコが製作した。

当初、カニンガムはプロデューサーのみを担当する予定で、監督には『ヒッチャー』(1986年)のロバート・ハーモンが雇われたのだけど、どういうわけだか知らないがハーモンは降板。そうしてカニンガムが監督も兼任することになった。

製作費は800万ドル。同時期に製作された『リバイアサン』(1989年)の3分の1以下、対『アビス』(1989年)に至っては8分の1以下という激安ぶりだったので、知名度のある俳優を雇えなかった。

結果、『トラック野郎!B・J』シリーズのグレッグ・エヴィガンや『エアーウルフ』のナンシー・エヴァーハードなど、テレビ俳優が何人も雇われた。

ナンシー・エヴァーハードは同年のドル版『パニッシャー』にも新米エリート刑事役で出演していたけど、特に印象に残る活躍がないままフェードアウトしていきましたな。

そんなこんなで恵まれない条件ながら『リバイアサン』と同一水準にまで持っていったのだから、カニンガムは善戦したともいえるが、面白くないものは面白くない。

ザ・小物

舞台は米海軍の海底基地ディープスター・シックスで、11人のクルーたちは海底10,000mにミサイル発射基地を建設しようとしている。

ミサイル基地を作りに来た軍属という時点で共感のレベルは下がってしまうし、そんな大工事にたった11人で足りるのだろうかという疑問もわいてくる。もうちょっとマシな設定はなかったんだろうか。

  • 発射基地の建設予定地に邪魔な海底空洞を発見
  • 建設を急ぐクルーは空洞を爆破して得体のしれない怪物を怒らせる
  • 数人を失ったことから任務を放棄して退去することにするが、そのどさくさで指令を受けた一人がミサイルを爆破。その衝撃波で基地全体が破損する。
  • このままでは脱出不可能&原子炉臨界で基地大爆発というわけで、仕方なく船外での補修作業に出ると、案の定、怪物が基地内に侵入
  • パニくった阿呆が一人で脱出艇に乗り込んで脱出するが、減圧のことを考えていなかったので死亡。他の生き残りたちは別の脱出ルートの検討が必要になる

こうしてあらすじを書き出してみると、ほぼ人災という辺りが凄い。

しかもやらかしてるのがシュナイダーというキャラたった一人なので、怪物よりもこいつの方が存在感を放っている。

立ち位置的に、『エイリアン』(1979年)のサイボーグ アッシュ(イアン・ホルム)と、『エイリアン2』(1986年)のウエイランド・ユタニ社員 バーク(ポール・ライザー)のイメージの合成だと思われるが、彼らが「何があろうと組織からの指令をやり切る」というある種の強さを持っていたのに対して、本作のシュナイダーはただただ無能で、意図せず状況を悪化させ続けるという辺りが新しい。

演じるのは『ロボコップ』(1987年)で大企業の若き重役に扮したミゲル・フェラー。同作でも「軽いノリに隠れているが実は小心」という役をやっていたが、本作では小心の部分がより強化されている。

兎にも角にもミゲル・フェラーという俳優の醸し出す小物感が絶妙で、劇中の登場人物や観客からの憎悪を一身に集めるキャラとなっている。

何かやらかした際の、起こった出来事への対応よりも自分の責任回避に必死な様子なんかは、なかなかに真に迫るものがあった。

誰かから責められているわけでもないのに、「いやいやいや、あいつが勝手に飛び出してきたからで、俺はそんなつもりでは…」とまず言い訳が飛び出す。傍から見ればお前がどうしたなんて関係ないんだけど、本人にはそれが一番重要なのだ。

ミゲル・フェラーはアカデミー賞受賞経験を持つ名優ホセ・フェラーの息子で、従兄弟にはジョージ・クルーニーがいる。ダニー・オーシャンの親戚なのに、この小物感というのが凄い。

映画のタイトルも『ザ・小物』に変えて欲しいと思ったほどだ。

コミュニケーションの少ない職場は危ないという教訓

あらためて見返すとこいつも可哀そうな男で、深海でのミサイル基地建設というかなりのストレス耐性が求められる職場に、凡人並みのメンタルの男が配属されている。最初にミスを犯したのは組織の方じゃないだろうか。

そもそも他のクルーたちとの間には溝があったようで、シュナイダーが何か言っても「はい、はい」という感じで受け流されている。無能だし、ヘタに相手すると面倒なので、みんなからは一線を引かれているみたい。

そんな中でのモンスターパニックである。

シュナイダーの能力に不安があるからこそ、他のクルーたちは彼から目を離してはいけなかったのに、重要な判断に限って「それはお前の仕事だろ」と言ってシュナイダーに押し付ける。

その最たるものがミサイルの爆破プロセス。

要約すると「万が一、未確認の脅威と遭遇したら、ミサイルを破壊して帰ってこい」という規程であり、組織としても具体的な運用場面を想定せず、とりあえず入れておいた条文の一種だと思われる。

こんなものは臨機応変に踏み倒したって問題になることはないのだが、シュナイダーのような人間にはその判断が下せず、「規程に書いてあるし…」と言って馬鹿正直にミサイルを起爆してしまう。

これをするとどうなるかが分からなかったシュナイダーが馬鹿すぎるのは仕方ないとして、なぜ他の管理職はシュナイダーにぴったりくっついておかなかったのか、何か大事なことがあれば実行前に一言相談しろと釘を刺しておかなかったのか。

普通の職場でも、こういうことはよく起こる。

とにかくミスの多い新人を指導することに疲れて放置してしまい、「多分やらかすだろうな」と思って見ていると、案の定、やらかす。

その新人が悪いのは当然だが、やらかすと分かっていて放置し、「ほら、言わんこっちゃない」と後から文句を言い出す周囲の人たちの行動も、決して褒められたものではない。

教育的指導の一環としてあえて放置しているのならまだしも、失敗されると困る課題であればこそ、面倒でもこまめに見てあげなきゃいけないのだ。

子供の頃には気付かなかったが、33年後に見るとそんなことも感じ取れた。ある意味で味わい深い作品なので、不出来ではあるけど嫌いではない。

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