【まとめ】映画界の流用あれこれ

雑談

ハリウッドも案外狭い世界のようで、作品間で素材を融通し合ったり、ある企画でボツにされた脚本を別の企画に流用するということは頻繁に起こっています。そうした流用をまとめてみました。

素材の流用

『レイダース』のUボートは『U・ボート』からのレンタル

90年代以降は早撮りの名人として知られるスティーヴン・スピルバーグですが、70年代にはスケジュール遅延、予算超過の常習犯でした。

しかし『レイダース/失われた聖櫃』(1981年)の製作に当たっては、プロデューサーのジョージ・ルーカスからスケジュールと予算の厳守を約束させられました。もしできなければルーカスが監督を交代するとまで言われていたようです。

そんなわけでコスト重視の現場であり、作品中盤に登場するUボートも新規製作はせず、同時期にウォルフガング・ペーターゼンが製作していたドイツ映画『U・ボート』(1981年)の模造Uボートを借りて撮影しました。

ただし『U・ボート』の現場ではレンタルされていることがスタッフに周知されておらず、一時現場が騒然としたそうです。また返却されたもので撮影を再開すると船が沈み、修復にはかなりの時間を要したとか。

『エイリアン2』のプラズマは『ターミネーター』の流用

『ターミネーター2』(1991年)以降、ジェームズ・キャメロンは新作を撮る度に高額製作費の記録を塗り替える高コスト体質の監督となりましたが、駆け出しの頃にはB級映画の帝王ロジャー・コーマンの元で修行し、コスト節約術も身に着けていました。

『エイリアン2』(1986年)のクライマックス、爆発寸前の建物でそこら中に走っているプラズマは、『ターミネーター』(1984年)のタイムワープ場面のために作られた素材を流用してコスト削減をしています。

『ディープブルー』の飛行艇は『6デイズ/7ナイツ』の流用

レニー・ハーリンは1980年代後半から1990年代前半のアクション映画界を席巻した監督であり、使う金も稼ぐ金も豪快そのものでした。

『ダイ・ハード2』(1990年)では第一作の2倍の製作費をかけて2倍の興行成績をあげ、続く『クリフハンガー』(1993年)には同年の大ヒット作『ジュラシック・パーク』(1993年)を上回る高額な製作費をかけました。

しかし海賊映画『カットスロート・アイランド』(1995年)がギネス記録になるほどの大コケ、続くスパイアクション『ロング・キス・グッドナイト』(1996年)もコケたことから、そのキャリアには暗雲立ち込めてきました。

そんな折、新人脚本家ダンカン・ケネディが執筆した『ディープ・ブルー』(1999年)の監督をワーナーより任されるのですが、『ダイ・ハード2』の時のような豪快な金遣いはもはや許容されず、涙ぐましい節約を余儀なくされます。

『カットスロート・アイランド』(1995年)のような本格的な海上撮影は断念して『タイタニック』(1997年)のために造られたフォックスのバハスタジオで撮影、またLL・クール・Jの肩に乗っているオウムは本物を使うのとパペットではどちらが安上がりかを議論するような現場でした。

そして序盤に登場する飛行艇も新しいものを使わず、ハリソン・フォード主演作『6デイズ/7ナイツ』(1998年)で使用されたお古を安く買い取ったりと、涙ぐましいコスト削減努力がなされました。

その結果、大規模なセットやVFXを要求される内容の割には6000万ドルという控えめな製作費で完成したのですが、売上高も控えめだったので(全世界トータルグロス1億6464万ドル)、大作の割に小粒感のある作品となりました。

『X-MEN』の自由の女神像は『インデペンデンス・デイ』の模型

ブライアン・シンガー監督の『X-MEN』(2000年)のクライマックスは自由の女神像での戦闘ですが、この時の女神像は『インデペンデンス・デイ』(1996年)で製作された模型が流用されています。

ただし、『X-MEN』の撮影を終えてローランド・エメリッヒの元に返却された時、模型はボロボロになっていたようですが。

脚本の流用

『スピード2』は『ダイ・ハード3』のボツ脚本

『スピード』(1994年)の公開直後から続編製作の話があり、一時期はある高度以下に下がれない飛行機という案もあったものの、最終的には船に決定しました。

この脚本は元々、ジェームズ・ハギンという人物が書いた”Troubleshooter”というオリジナル脚本を改変したもので、フォックスは『ダイ・ハード3』の原案として使うつもりでいました。

しかしワーナーが『沈黙の戦艦』(1992年)を製作中であることが判明し、どうしても印象が似通ってしまうシージャックネタはボツにされ、そのまま埋もれていました。

その後『スピード』の続編として流用することとし、ヤン・デン・ボンの前作『ツイスター』(1996年)の脚色を行ったジェフ・ナサンソンがこれを脚色して決定稿を仕上げました。

『ダイ・ハード3』の脚本は幻の『ラピッドファイヤー2』

その『ダイ・ハード3』の決定稿に繋がったのが、ジョナサン・ヘンズリーが執筆した『サイモン・セズ』というオリジナル脚本でした。

元はオリジナルのアクションスリラーであり、ジョエル・シルバーが『リーサル・ウェポン3』(1992年)の原案に使おうとしていたのですが、フォックスが譲渡を拒否したものでした。

そのフォックスは『ラピッド・ファイヤー』(1992年)の続編に使おうとしていたのですが、主演のブランドン・リーが死亡したために企画自体が消滅。なお、サミュエル・L・ジャクソン扮するゼウスに相当する役柄を主人公にするつもりだったようです。

そこから『ダイ・ハード3』に行きついたのですが、ヘンズリーによると本編の最初1時間はオリジナルの『サイモン・セズ』に比較的忠実なのですが、後半はまるで別物になるとのこと。

『コブラ』の脚本は幻のスタローン主演版『ビバリーヒルズ・コップ』

ドン・シンプソン製作の『ビバリーヒルズ・コップ』(1984年)は当初シルベスター・スタローン主演で製作が進んでおり、スタローンは自ら脚本も執筆していました。

しかし彼がアクション大作にしようとしたことで製作費の大幅な増加が見込まれ、パラマウントはスタローンを切ることにしました。この時スタローンに脚本料が支払われていなかったことから、脚本の権利はパラマウントではなくスタローンに帰属しており、これをベースに作ったのが『コブラ』(1986年)でした。

一方、本家『ビバリーヒルズ・コップ』はエディ・マーフィー主演のライトなアクションコメディとして製作され、1984年12月に全米公開されるや記録破りの大ヒットに。

そのヒットを受けてドン・シンプソンは『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987年)を企画するのですが、女性強盗役の候補として浮かび上がってきたのがブリジット・ニールセン、当時のスタローンの奥さんでした。

前作でスタローンを切った人たちが今度はその奥さんを使わせてくれと言い出したのですが、人の良いスタローンはこの申し出を快く承諾。

ドン・シンプソンはスタローンの懐の深さに感銘を受けました。同作においてジャッジ・ラインホルド扮するローズウッド刑事の部屋に『コブラ』のポスターが貼られているのは、スタローンへのリスペクトを表明したものでした。

しかしこの現場で事件は起こりました。事もあろうに監督のトニー・スコットとブリジット・ニールセンが不倫関係となり、スタローンとニールセンが離婚する原因となってしまったのです。二度も顔に泥を塗られたスタローンはさぞ傷ついたことでしょう。

その後にスタローンが製作した『ロッキー5/最後のドラマ』(1990年)では、懇意にした者に裏切られるロッキーが描かれており、この一連の騒動が彼の中で尾を引いていたのではないかと思います。

その他

『ダイ・ハード』には『エイリアン2』の未使用スコアが使用されている

『エイリアン2』(1986年)の現場ではジェームズ・キャメロンの完璧主義が炸裂し、いろんなスタッフがキャメロンとの間での軋轢を抱えていました。

撮影監督ディック・ブッシュはキャメロンとの仲がこじれて降板し(後任はエイドリアン・ビドル)、編集のレイ・ラヴジョイはキャメロンからの圧力に負けて編集室に閉じこもりっきりとなりました。作曲家のジェームズ・ホーナーもその一人。

とにかくキャメロンからのダメ出しが凄く、終盤にてドロップシップが核爆発から間一髪逃れる場面ではスコアの丸々やり直しを指示され、ホーナーが一晩で書き上げたという逸話も残っています。

そんな感じだったので『エイリアン2』には未使用スコアが存在しており、その中の一つは『ダイ・ハード』(1988年)のクライマックス、パウエル巡査部長が銃を抜く場面で使用されています。

『DENGEKI 電撃』のオープニングは『リーサル・ウェポン4』ボツ脚本からの流用

『リーサル・ウェポン4』は1997年下旬に製作が開始され、1998年に公開されましたが、企画は90年代半ばより立ち上がっては潰れてを何度か繰り返していました。

1995年には『リーサル・ウェポン2』『同3』の脚本家ジェフリー・ボームがネオナチによるテロを題材にした脚本を書いたのですが、製作には至らず。

この企画で考えられていた見せ場の一つは、『リーサル・ウェポン』シリーズのプロデューサーであるジョエル・シルヴァーが後に製作する『DENGEKI 電撃』(2001年)の冒頭、副大統領襲撃場面として復活しました。

『フェイス/オフ』のボートチェイスは『ハード・ターゲット』で撮影できなかったアクションシークェンス

80年代後半、ジョン・ウーは香港ノワールの雄として世界的に注目されており、『ハード・ターゲット』(1993年)でついにハリウッド進出を果たしました。

ただし主演のジャン・クロード・ヴァン・ダムも当時は全米No.1ヒット連発で乗りに乗っており、自己のビジョンを押し通そうとしてジョン・ウーとしばしば衝突していました。

プロデューサーが仲裁に入らねばならないほど両者の関係は悪く、作品の世界的ヒットに気を良くしたユニバーサルが続編の制作を希望しても、その実現には至りませんでした。

そんな両者のビジョンの違いが反映されたのが中盤でのチェイス場面であり、当初ジョン・ウーはボートチェイスを撮るつもりでいたのですが、ヴァンダムの提案で馬vsヘリのチェイスに変更されました。

この時にジョン・ウーが考えていたボートチェイスは『フェイス/オフ』(1997年)のクライマックスに取り入れられることとなります。

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